先月、石川県羽咋市の古民家調査の際、神子原米で有名な神子原地区の棚田を訪れた。神子原米は、羽咋市役所のスーパー公務員Tさんのアイデアで2005年にローマ法王に献上したのがきっかけで、ブランド化に成功し、現在この会社で栽培から精米・流通まで一貫生産を実現した。限界集落の再生事例として2007年 自立・自活する山村集落づくり「山彦計画」が「立ち上がる農山漁村(農林水産省)」に選定された。2009年には、地域住民から出資を募って作った(株)神子の里も「全国地産地消推進協議会長賞」特別賞を受賞している。僕たちはその会社のM社長から話を聞いたが、輝かしい評価や評判とは裏腹にその実態はかなり厳しい。

現在この会社には10人のスタッフ(内社員3名)がいるが、地元集落の人はその半数以下しかいない。米を一貫生産する上に、販売所や通販の運営を行うには、農作業以外の仕事がたくさんある。接客や会計、コンピュータ処理やデザインなどの業務を処理できる人材は残念ながら地元では確保できないという。つまり、通常「農業」と言われる仕事は農協から種を買い、機会を使ってくするを巻いて、収穫したら農協に収めることで、農業というビジネスの全体の農作業の部分でしかない訳だ。だからMさんは、実際に会社を作りすべてをやることで、この現実に直面した。さらに言えば、直売所や通販も米だけでは成り立たない。近所のお母さんたちの惣菜を商品化したり、クワイなど別の産品も育てながら「わざわざ買いに来てもらう店づくり」に取り組んでいる。

Mさんの話を聞くうちに「農業とは何だろう」と疑問が湧いてきた。「育てた農作物を、市場に出荷して収益を上げる事業」と漠然と考えていたビジネスが、虚構というか、幻のように思えてきた。考えてみれば現在の農業は、第2次大戦後の農地解放から始まった極めて歴史の浅いビジネスで、特にコメはすぐに生産過剰となり補助金漬けの調整農業が続いている。日本の農業はビジネスとして成立しないうちに行き詰っているとも言える有様だ。もともと種子米として生産されてきた神子原米を担う農家は、いまや80歳を過ぎた方ばかりで、Mさんの会社は、その後を引き継ぐ役割を担うことになる。すでにMさんの頭には、従来の農業イメージは存在しない。

世界の人口が急増する中で、その食料需要を担うのは、科学の力で最適化された農業工場にシフトしている。有機栽培や無農薬などは嗜好品やぜいたく品と位置付けられつつあるのは、致し方ないことだ。もともと、農家は百姓と呼ばれ、百の仕事つまり何でもする人を指した。冷蔵庫もトラックも無い時代、きわめて一部の都会以外では畑で自家用の作物を作るのが当たり前だったはず。むしろ、もみ殻や藁で加工品を作ったり、作物も干したり加工しなければ商品にはなり得ない。つまり、農作業だけやる農家の方が異常な姿と言っていい。それに加えて[農地]といういびつな制度が話をより混乱させている。日本ナショナルトラスト協会が「農地の寄付は受け付けない」ということがこれを象徴している。用途を規制し、売買を規制するおかげで日本の農地の維持コストは世界でも低い部類に入るのに、採算に合わないとレッテルが張られ放置されている。余談だが、羽咋市の森林組合で聞いた話では、米国産の2万円/m3に対して国産の杉材価格はすでに8千円/m3と逆転しているという。日本人のコストが高く、放置による値下がりも生かすことができない。

僕たちが今やるべきことは、自分の仕事に枠を作らず、誰もが百姓になって自由にビジネスすることだ。内職だろうとパートだろうと、趣味だろうと遊びだろうと、何でもいいからやってみること。面白い時代がやってきたぞ。