不死身の目的

人は死ぬもの、有限の存在だが、社会の営みに終わりは必要ない。
そこで僕は、「社団=社会的な集団」を形成することによって不死身の存在となることで、営みの永続化を実現したい。
ところが、そんな思いはなかなか届かないし、理解は一向に広まらない。
それはなぜかと考えた時、「不死身」の解釈に起因すると思い至った。
「不死身」という言葉は「不老不死」を意味する言葉であり、「法人化」のことを「不死身化」と唱える僕の方に無理がある。
この行き違いは、「不死身」を目的と手段のどちらと捉えるかの違いであり、どちらかが間違っている訳では無い。
「不死身」が目指す目的であれば、不老が有効なことは明らかだが、「不死身」が何かを実現するための手段であれば、ほど遠い不老よりも手近な法人化の方を僕は推奨する。

こうした手段の目的化は、随所に見ることができる。
そもそもお金は必要な物を得るため使う手段なのに、いつしかお金を得ることが目的化してしまう。
そして、さんざん稼いだ挙句に人が望むことは、何もせずのんびりすることだったりする。
だったらなぜ、稼ぐ前にのんびりしようとしなかったのだろうと僕は思う。
その意味で僕はとてもラッキーだった。
会社が潰れ、30億の連帯債務を背負いこんだおかげで、お金を稼いでも債権者に取られるだけになっちゃった。
そこで僕は、稼いだお金は全て家族に渡してしまい、自分はやりたいことだけをやりまくろうと開き直った。
(株)なのには、「必要なのに誰もやらないこと」つまり「僕しかやらないこと」をやるわがままな会社に作り上げた。

「必要なのに誰もやらないこと」は、数少ない珍しいこととあなたは思うかもしれないが、実際にやってみるととんでもない、そこら中にたくさん溢れている。
なぜなら、人は必要なことでなく儲かることをやるからで、どんなに必要でも儲からないことはそこここに放置されている。
そんな中、僕にとって面白いことがあれば、即座に食らいつく。
それは、確かに儲かりそうにないし、難しそうで、うまくいきそうにない。
だが、会社の倒産と再生から始まった今の僕にとって、簡単でできそうなことこそつまらないし時間の無駄だ。
そもそも「楽にのんびりしたい人」の言う「儲からない」とは、「難しく面倒なこと」を意味する言葉なのだから、その人たちは僕に近付こうとすらしないだろう。

ずいぶん脱線してしまったが、これが今日の言い訳だ。
この面倒なブログを読んで下さるあなたは、決して楽やのんびりを目指さない、「自分の思い」を抱いた人だと思う。
そこで今日の本題に話を戻そう。
僕だって、決して早く死にたい訳ではないが、無限に生きたい訳でもない。
だが、僕の所属する社会や、僕らが生きるこの地球には、いつまでも滅びて欲しくない。
そこで必要なことは、僕個人が不死身になることでなく、せめて誰かが、どこかが生き残ること=滅びないことだ。
もちろんそれを僕一人が背負えるなら、僕一人でも生き残れば済むことだ。

だが僕にはそんな自信はないし、できるはずもない。
いやむしろ、僕の望みは僕以外の人たちに夢を託すことだとさえ思う。
それはなぜかと胸に手を当てて考えた時、僕は驚くべき本音に気が付いた。
それこそが「楽でのんびりできる」ことだから。
今僕は、あまりにも勝手でずるい自分に気付いて嬉しくなっている。
そして、そのためなら、難しくて厄介なことにこそ取り組んでやろうと燃えている。
「自分の望みを仲間に託す」という「不死身の仕組み(コミュニティ)」を一つでも多く実現することで、
「楽になること」こそが、僕が老いていく道だと今日は気づいた。
共感してくださる方ならどなたとでも、一緒にのんびりを目指したい。