アマチュアビジネス

「すべての人がビジネスに挑んでほしい」という思いから各所を訪ね、「ビジーネスリーグ」の仕組みを説明する行脚が続いている。そんな中、「世界一ハードルの低いビジネスコンテスト」とか、「収支計画のいらないビジネスプラン」とか、様々な言い方をひねり出すうちに、【アマチュアビジネス】という言葉を思いついた。「ビジネスとアマチュア」何ともミスマッチな二つの言葉だが、今の僕が目指すものを、妙に言い得ているような気がする。建築学科の学生だった頃、香山壽夫さんという先生がいて、ある夜こんな話をしてくれたのを思い出す。「君たちはプロとは何だと思いますか?、普通はその道で飯を食う人のことを言うようだけれど、僕は違うと思います。プロというのは、その道を極めるために飯が食えなくなる人のことだと僕は思っています」と。当時の僕は苦笑いしながらも、その言葉が妙に引っかったのを、今でも覚えている。そして今、少しその意味が分かる歳になったのかも知れない。

ビジネスに対する僕の不満は、その閉鎖性だ。収益が上がらない=儲からないことへの侮蔑的な感情は、儲かることしか受け入れない閉鎖性を生み出す。地域のコミュニティにも、誰でも受け入れる開放型と、気の合う仲良しが集まる閉鎖型が有って、むしろ後者の方が多いように思えるが、企業もこれに似た性格を持っている。ビジネスの情報化は、ライバル社との競争をも潜在化させ、競合という交流すら失いつつあることも合わせて考えれば、ビジネスの閉鎖性は進む一方かも知れない。香山先生の言うプロとは、収益などという安住できる低レベルではなく、人生を破壊しかねない高度なレベルを僕らに問いかけたのかも知れないが、その先にある達成感というか、境地における広大な新天地のようなイメージは小さくまとまる閉鎖性を嫌う精神を意味していたのだと思う。その意味で、プロよりおおらかなアマチュア。見通しのアマい、みんなにアマえる、可能性のアマったアマチュアが挑むビジネスが、閉鎖し、行き詰った現代社会を打開すると僕は信じている。

日本では「プロとアマ」の区別を至る所で見かけるが、これは決して世界標準ではない。以前、オーケストラビジネスに挑むI君と共にCBSソニーの友人を訪ね、アメリカの音楽ビジネス事情について話している中で、「アメリカのミュージシャンに、プロとアマの区別はない」と聞いて驚いた。日本では、金を払えば誰でも演奏できるライブハウスがあり、趣味のバンドでもライブをやることができるが、アメリカではどんな店でもオーディションがあり、店の眼鏡にかなうバンドしか演奏できないとか。だから、外国人の2流ミュージシャンにとって日本はチャンスの国だ。無名の若者や、往年のスターたちにとって、活躍の場が提供されるのは、プロとアマチュアという2重構造がもたらす許容力かも知れない。

海外にもアマチュアは存在するが、それは学生の活動を意味することが多い。しかし、それは日本の部活動とは異なり、リクリエーションや教育の側面が強い。日本の部活動は、シーズンオフでも黙々とトレーニングを続けるが、海外では季節ごとに複数のスポーツをやる方が一般的だ。試合に出る可能性のない控えの選手がぞろぞろいるのも日本の部活の特長だが、それは卒業に必要な単位や就職に有利なポイントとしての意味合いが強いせいもある。むしろ海外でスポーツを真剣にやる少年はプロのクラブに所属してプロを目指す。高校野球からプロに入団する日本のシステムは、大学を卒業して一斉に新卒採用される会社と同じく日本独自のシステムだ。つまり、海外ではプロとアマチュアはまるで別物なのに対し、日本はプロの予備軍としてのアマチュアがある。

古代オリンピックでは、プロの飛脚は徒競走に出られなかったが、今のオリンピックにアマチュアはもういない。プロの予備軍を要請していた社会主義国家たちがメダルを独占していた時代はとうに終わり、今やビジネスが本気で戦うのがオリンピックだ。日本が社会主義国家と揶揄されるのは、国を挙げてプロの予備軍を要請する閉鎖的な教育や雇用の仕組みを意味しているともいえる。それでは、プロとは違うアマチュアとは何のことか?それは、新しいスポーツ、新しい音楽、新しいビジネスのことを指す。もしも、ラーメンの早食い競技がスポーツになったとき、初めはそこにプロはいない。新しい楽器を考案し、新しい音楽を生み出した時、そこにプロの概念は存在しない。アマチュアとは、アン・マチュア・・・つまり未熟という意味であり、それは2群とか2流ではなく、未成熟、未完成のことだ。

以前、水泳競技で新素材の水着をつけた選手たちが記録を塗り替え、ついに新素材水着の着用を禁止したことがあった。僕がプロの閉鎖性と呼ぶのはこういう話だ。僕は世界の水着メーカーに呼びかけて、水着の開発競争を兼ねた水泳競技をやろうと提案したい。スーパー自由形は、ひれやウロコを付けようと、何をしてもよい競技。そもそも、オリンピックというビジネスに頼る必要など毛頭ない。競技場やエンブレムで金も時間も無駄遣いばかりして、一部の選手を薬を使って化け物に仕立ててまで、壮大な見世物はもはやスポーツでも何でもない。ついスポーツの話に夢中になってしまったが、ビジネスがつまらなくなったのを「プロ化」と捉え、新たな姿の、新たなルールの、新たな方法の「アマチュアビジネス」を世界に送り出す仕掛け作りに、僕はチャレンジしたい。