ただのおじさん

僕のすべての仕事は、初回無料の「よろず相談」から始まる。
もちろん相談内容には、言葉通りに制限がなく、どんな相談にも応じている。
そんな偉そうにして「あんたは何様だ!」と思われるかもしれないが、僕はいつも「ただのおじさん」と答えている。
そもそも「相談」とは、悩みや問題について誰かに話し合い、アドバイスや支援を求めることであり、「相談に応じる」とは、それを「きちんと聞く」ことだ。
かつて僕が、世田谷区の国際交流事業を請け負ったときに、「世田谷世界相談所」という区民の相談窓口を募ったら、区の担当から「もし相談が来たら、区民に解決できるんですか?」と問われたので、「たとえ解決できなくても、相談相手になることが大事です」と答えたのを思い出す。
むしろ、何の資格も持たずにやるからこそ、どんな相談にも応じることができると思う。

さらに言えば、相談の多くは「どんな資格を持つ人に頼めばいいのか?」や「資格のない自分には何ができるのか?」など、資格や規則に関するものばかり。
それらに対する僕の答えは「資格なんかいらないからとにかくやってみましょう!」だ。
資格には、無資格でも処罰されない能力証明的なものもあるが、ここでは資格取得が必須となるような許認可的な資格に絞って考えよう。
まず、「自分のための資格」と「他人の依頼を受けるための資格」に分類してみると、本人のための資格は各種の「運転免許」くらいしか思いつかない。
例えば、教員免許が無くても学校でなければ勉強を教えられるし、医師免許が無くても自己の治療は犯罪にならない。
厳密に言えば、運転免許だって私有地の中なら必要ない。
このように、自分でやることは案外無法地帯だと判る。

また、僕の仕事は、「何か」の実現に取り組む人の「手伝い」だ。
自分でやることに制約がないように、それを手伝うことにも何の制約も無いので、これまで実に様々なことをお手伝いしてきた。
組織の立ち上げや法人設立、会計処理や税務申告、不動産の賃貸や売買、建築確認や工事監理など、その大半はいわゆる士業と言われる資格者が通常行う業務だが、僕は何の資格も無く、唯一保有する建築士さえ使わずに、「当事者の手伝い」に徹してきた。
お気づきと思うが、そもそも資格とは、仕事の依頼を受けるための制度であり、自分自身で行えばほとんどの資格は不要となる。

こうして僕は「手伝い業」という仕事に目覚めてしまったのだが、振り返ってみると、建築の仕事をしていた時からそのきっかけに出会っていた。
設計から確認申請まですべて自分でやったため施工会社から嫌われて困っていた弁護士さんから自宅の施工を頼まれたり、自社ビル新築の競争入札で負けてしまった僕に対し受注した会社が信用できずサポートを頼まれたり、建設会社としての顧客サービスでなく、発注者側担当者としてのサポート業務を頼まれるケースが多かった。
また、発注者からはしばしば御馳走になり「安くしてね」とせがまれたが、こちらから接待などしたことはなく、行きつけの店も一つもない。
だからこそ、会社が倒産するときも、発注者を救わずにいられなかったのかもしれない。
こうして過去の自分と今の自分がつながる時こそ、僕が僕である正しさと幸福を感じる瞬間だ。

おっと、脱線気味なので本題に戻そう。
先ほど「自分でやることに制約がないからこそ、それを手伝うのに資格は要らない」と述べたが、本当はそうでなく、むしろ「資格」が邪魔になる。
そもそも資格や肩書が信用、尊重されるのは、それを裏付ける根拠があるからで、それを偽ったり逸脱すれば、たちまちはく奪されてしまう。
その根拠とは、資格であれば法律や規則に基づく試験の合格や経験だし、肩書であれば組織の職域と権限など、その人個人の人格以外の「与えられた役割」だ。
なので、その根拠より相談者の願いを優先することはあり得ないし、大多数の相談者はそれに従うことに疑問を持たない。
だが、僕に相談を持ち掛ける人は、法律や制度そのものに疑問を感じ、ほかの道を模索しにやってくる。

そんな相談を他人に頼まず自分で何とかしたいなら、喜んでそれを手伝うのが僕のやり方だ。
唯一の条件は「自分の意志で決め、理由や根拠を他に求めないこと」だ。
もちろんそれは、相談者自身が責任やリスクを負うためで、そうでなければ僕は自由に手伝えない。
僕が責任を負えないのは決して無資格だからでなく、そもそも責任とは他人に転嫁できないものだ。
これは資格者だって同じことで、すべては依頼者の意志に基づいている。
むしろ、資格を持たない僕は自己責任で行動するが、資格者は制度や組織に責任を転嫁して、本人は責任を回避する。
つまり、資格や肩書は当事者が責任を回避するための仕組みであって、「人」でない存在だ。
本人の責任を問うときは「人として」や「人道上」と前置きして、資格や肩書を外すことになる。
僕の言う「ただのおじさん」は、まさに資格も肩書もない「一人の人間」という意味だ。
だからこそ、法律や制度に支配されるのでなく、法律や制度を支配する僕たちになりたいし、なるべきだ。
そんな社会の実現を目指して、楽しく、面白く頑張ろう。

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