排除と包摂

あなたは、「排除と包摂(ほうせつ)」という言葉をご存じか。
僕は今、国づくり活動の進め方についてああだこうだと日々悩み、このブログでもその頭の整理ばかりに紙面を割いているのだが、そろそろ民事信託の手法に取り組む是非を決めるため、考え始めたらふとこの言葉を思いついた。
「排除と包摂」とは、社会から人が切り離される「社会的排除」と、すべての人を広く受け入れて支え合う「社会的包摂」という、現代社会のあり方を示す重要な対概念のこと。
これは社会の至る所で見受けられる現象で、僕自身も頻繁に利用する対概念だが、もしかして自身が多用するあまりに敏感に感じ取ってしまい、そのジレンマに紛れ込んで必要以上に苦しんでいるのかもしれないと、ふと思った。
そこで今日は、「排除と包摂」について考察するので、お付き合い願いたい。

そもそもの始まりは、かつて僕が日本土地資源協会を一般法人から公益法人に変えようと内閣府に申請した際に、「あなたの事業は共益事業なので認可できない」と言われ、その場で取り下げた時のこと。
「共益」はたとえ「非営利」でも「公益」とは言えないと、排除されたことからだ。
「非営利」とは「得た利益を構成員や株主に分配しないこと」、「公益」とは「社会全体や不特定多数の人々の利益に貢献すること」と言われている。
公益活動をする団体は利益を配らないため「非営利」でもあるが、非営利団体には会員だけの利益を守る「共益的」な団体も含まれるため、すべてが社会全体の「公益」を目指すとはいえない。
つまり「非営利 ⊃ 公益」の関係だ。
会員制の笑恵館はまさに共益事業として否認され、不特定多数を対象とするよう求められた。
その際僕が掲げた公益性は「地域社会の健全な発展」だったので、暴力団や反社まで受け入れる地域社会などあり得ないし、日本国だって日本人の会員組織じゃないかと反論した。
これに対し、内閣府の担当者は「そんな議論は国会でして欲しい」と話にならず、僕はその場で申請を取り下げた。

笑恵館の「会員制のみんなの家」とは、「会員制という排除」と「みんなという包摂」を合わせた概念だ。
さらに言えば、そもそも会員制は新たな会員を受け入れる「包摂」と、会員のみを対象とする「排除」を合わせた仕組みのこと。
血縁関係に限定すると、家族は親子や婚姻関係に縛られる上、その存続も難しいので、他人を受け入れるために家だけでなく家族も開いている訳だ。
そして「みんな」は一部の構成員でなく、メンバー全員の総意に基づくことを指し、同時に賛同できない人の排除も意味している。
このように「排除と包摂」とは、社会のあらゆる営みの二面性を表す概念であり、これを根拠に社会性を否定するなどあり得ないと僕は思う。
むしろ、国家や自治体の方が「国益」とか「自国ファースト」など、世界の公益に反する排除主義丸出しであり、およそ国内で公益を説く資格などは無い。

だが、そんな国家も僕は包摂的に容認する。
多様性とは個人のことでなく、多様な集団の存在を認めることだから。
個人が異なるのは当たり前の前提条件であり、むしろ共通点を認め合って集団化することこそが、社会そのものだ。
この「共通点を認め合うこと」が「共有=包摂」で、共有できない人を受け入れないことを「排除」という。
多数決は合意形成による包摂でなく、多数派が少数派を排除する分断の手続きだ。
両者が無理やり合併するよりも、むしろ平和裏に分離する方が、それぞれの幸福は高まるだろう。
そこで大切なことが平和=戦争しないこと。
だからこそ、僕は日本国内での小さな国づくりに大きな夢を感じてしまう。
日本政府にも、内閣府にも不満は山積みだが、それを良しとする人々の国なのだから、僕はこれを容認しよう。
そしてその上で、平和裏に課題を解決しようと、そんな気分になってきた。

そもそも僕が公益認定に挑んだのは他でもない、譲渡所得税の課税猶予を求めるためだ。
土地や有価証券は、現金と異なり売却時に損得が発生し、その利益に課税されるのが譲渡所得税。
問題は、対価を得ずに無償で譲渡する場合、個人間であれば贈与税や相続税の対象となる代わりにみなし譲渡所得は発生しないが、法人に譲渡する場合は売却益を含めて譲渡したと考えて、譲渡する側に見なし譲渡所得税が課税されてしまう。
これでは土地の寄付はままならない。
譲渡所得税を逃れたいのでなく、実際に売却益が生じるまで、個人間のように取得価格を据え置いて欲しいというのが僕の願いだ。
だが個人と異なり法人には寿命がない。
個人なら、相続税を払うために売却する際に課税できるので、個人所有で無くなる際に課税しておこうという魂胆は見え見えだ。

今般「公益信託」の制度が大幅に改定され、誰もがチャレンジできるようになった。
もちろん、公益信託のメリットとして譲渡所得課税の減免が謳われていて、これは新たな公益を受け入れる「誘い水(包摂)」なのかもしれない。
しかしもう一方で、民事信託を使うことで譲渡所得課税を逃れる道を模索する僕にとって、これはそれを排除する方策かも知れない。
現に僕が公益信託に興味を持ったのは、民事信託による減免が難しいと分かったからであって、当初は公益の言葉を聞いただけで拒否していた。
だったら、国の思惑通り、民事信託を辞めて公益信託に挑んでみるか。
12年以上かけて非営利ビジネスに取り組んできた僕にとって、「非営利の公益性」に挑むことこそが、この問題の平和的解決策に思えてきた。
非営利不動産とは、不労所得を得ない不動産のこと。
地域社会の健全な発展という公益を、地域社会の魅力が高まることで賃料収入が増え、それが魅力向上のための雇用を生み出す好循環で説明したい。
今日はすらすら書けて、気分爽快だ。