今年の終戦記念日は、笑恵館で映画「東京裁判」を見た。
思えば、僕が初めてこの映画を見たのは、1983年秋のこと。
就職した設計事務所での初仕事が竣工して、一年目の検査に立ち会った帰り道、僕は盛岡の第一映画劇場に立ち寄った。
昭和13年に盛岡市の大通り(映画館通り)に開館した東宝直営の老舗映画館で、年内には解体されるとのことだったので、施設見学を兼ねて映画を見ることにした。
ところが、その時の演目が「東京裁判」でなんと4時間を超える超大作。
まあ、施設見学が主目的なので、つまらなければ途中で出ようと割り切って入場した。
案の定、レトロな館内にはロビーでなく、観客席の右わきに売店コーナーがあって、映画を見ながら買い物ができてしまう。
そんな昔の社交場を思わせる不思議な空間の中で、モノクロドキュメンタリーが始まった。
・
売店での買い食いを楽しんだら、適当におさらばして、昨年開通したばかりの東北新幹線で帰ろうと思っていたのに、次第に映画に引き込まれ、4時間半はあっという間に過ぎ去った。
その数年後、テレビ放送で観る機会があったものの、戦争は犯罪なのか、国際法とは何なのかなど、疑問ばかりが残る映画だった。
ところが、昨年末よりアマゾンプライムで無料配信が始まって、今日を含め3回も見てしまった。
その解説に「裁判から25年後に公開されたアメリカ国防総省の50万フィートにも及ぶ長大なフィルムを、5年の歳月をかけて編集して製作した」とあるので、「あれもしかして」と思って調べたら、公開日は1983年6月4日。
何と僕が盛岡で観たのは、その時の封切り版だったという訳だ。
そんな訳で、何かと縁を感じるこの映画だが、国づくりに取り組む僕にとって、初めの疑問がしっかり生きていた。
・
先述したとおり、この映画が僕に突き付けたのは、「戦争は犯罪なのか」と「国際法とは何なのか」の2つの疑問だった。
ひょっとすると、2つの疑問はずっと消えずに頭に有って、それが「国づくり」という発想を生み出したのかも知れない。
ここ数か月で3回も見てしまったのは、その答え合わせがしたかったのだろう。
そこで今日は、2つの疑問に対する僕なりの答えを述べてみたい。
但し、映画:東京裁判で見たり聞いたりしたことは、引用しないようにする。
その答え合わせは、あなた自身もこの映画を見ながらして欲しい。
もしも映画を見たくなったら、いつでも僕のアカウントで一緒に見ながら語り合おう。
・
さて、戦争は本当に犯罪なのか、その答えはもちろんNO、日本を除くすべての国が、戦争を認めている。
ただ、ここでは「国」という概念を交えないと議論は成り立たない。
「戦争とは何か」とAIに尋ねると、「戦争とは、国家や政治的集団が、何らかの政治的目的や利益を達成するために、軍事力や武力を用いて組織的に行なう大規模な闘争状態のことです。」と返ってくる。
つまり「国家や政治的集団」が行うけんかのことであり、それらをまとめて僕は「国」と呼ぶ。
ご存知の通り、日本は世界で唯一「国同士のけんかのやり方として戦争は認めないし、そのための軍隊も永久に持たない」と憲法に定めている国だ。
だからこそ、僕は日本の中に「戦争しない国」をたくさん作って、世界の人たちに見せびらかしたいと思った。
今、外国人が日本に押し寄せてくるのは「物価が安いから」でなく、「戦争しないから」にしていきたい。
・
そして「国際法」とは何なのか、その答えはもちろん「そんなの無い」、「国際法」という名の法律はどこにもない。
これもAIに尋ねると「国際法とは、国家や国際機関などの間を結ぶ国際社会のルールです。主な種類には、国同士の合意である「条約」と、長年の慣習がルールとなった「国際慣習法」があります。国内法と違って警察や強力な強制力はありませんが、世界の平和や環境を守るために大切です。」と返ってくる。
つまり、国際法とはご近所付き合いなどの人間関係が、国同士の外交になった時の様々な取り決めのことを指し、その総体を示す呼称にすぎない。
したがって、多様な国同士の取り決めには一貫性などあるはずもなく、合意したり決裂したりの駆け引きが繰り返されている。
まるで正反対の取り決めが混在する中から、都合の良い部分を抜き出しているにすぎない実態を決して忘れてはならないと思う、
・
考えてみれば、「国」とは戦争をするための組織と言っても過言ではない。
戦争を防ぐために作られ、原則として武力の行使が禁止する国連憲章でさえ、その重大な例外として第51条に「自衛権」を認め、自国を守る個別的自衛権と他国を共同で守る集団的自衛権を「固有の権利」と規定する。
したがって、繰り返しになるが「日本国憲法」は例外中の例外で、戦争しない国家など人類初のチャレンジかもしれない。
でもだからと言って、現実には日本は戦争を放棄していない。
自衛隊の体裁で陸海空軍を組織して、軍事費は増えるばかり。
それこそ国際法の名の下で、「自衛権」を正当化している。
映画「東京裁判」が4時間を超える対策になってしまったのは、この国際法と国家の論理に抗う人々のやり取りを丁寧に拾ったためだと僕は思う。
世界の様々な意見に耳を傾けるのは大切だが、それを根拠にするのでなく、自分の意見で判断したい。
それを繰り返し、積み重ねることで、世界を変えることこそが、日本に所属する僕たちならではのチャレンジだと思う。