僕の一番の困りごとは、自己紹介に手間取ること。
恐らくそれは、他人と同類にされるのが嫌いなへそ曲がりのせいだと思う。
だが一方で、知らない相手に自分を説明するには、相手が知ってる言葉を使う必要が有る。
どうすれば、相手の知ってる言葉で知らない(新たな)ことを伝えられるのか。
ここ数日、サイトやパンフをいじくりまわして、少しでも自分を客観視することで、その答えを必死に模索した。
その結果たどり着いたのは、あえて「実現」という言葉にこだわって、実現コンサル、実現支援、実現セミナーなどのあらゆる言い回しをすべて受け入れること。
今日は、その理由と目的について、分かりやすい説明にチャレンジしたい。
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まず「実現」にこだわった理由から始めよう。
そもそも今の僕は、1999年に会社倒産という「破たん」を経験し、倒産処理と新会社設立を同時にこなしたことが各所に知れ渡り、2004年に建設業から離れたことからだ。
当時、画期的な廃校活用としてスタートした「IID世田谷ものづくり学校」の運営会社が年末に経営破たんして、その再建を引き受けた僕が校長として乗り込んだ。
早速、貸主の世田谷区に挨拶すると、あまりに洗練された「インキュベーション施設」なので、一般区民には敷居が高いと愚痴るので、僕は「そもそも行政が実施する起業創業支援は、個人の金儲けに血税を使うなどけしからん」と反論した。
すると、「実は、おっしゃる通りの上カッコよすぎるので、一般区民の参考にすらならないと議会でも総好かん」とため息をついた。
そこで僕は、「起業」を誰もが挑む「チャレンジ」と解釈して、思いっきり敷居が低い起業支援をやれば良いと提案すると、即座に受け入れられてとんとん拍子で実現した。
この「チャレンジ」こそが、僕の目指す「実現」だ。
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こうして2006年にスタートした「世田谷区起業創業支援事業・せたがやかやっく」は、今で言う「伴走型支援」に近いイメージだが、一緒に走るというよりは、一緒にカヤックを漕ぐ感じ。
ボートは後ろ向きだが、カヤックは前を向いて漕ぐのが気に入っている。
毎週金曜日の夕方に、三軒茶屋の世田谷区分庁舎で「起業カフェ(交流会)」を開催し、「やりたいこと」や「困りごと」について、互いが意見を言い合った。
すると面白いことに、区の様々な部署の職員が相談事を持ち込むようになり、「健康づくり」、「国際交流」、「生涯現役」などの理由や目的について、ざっくばらんに語り合った。
そこで僕は、相談に来た区民(へっぽこ起業家)たちと「NPO法人カプラー」を設立して、この支援事業自体を含め、片っ端から受注した。
2011年からは、審査員でなく参加者の人気投票で競い合う「せたがやソーシャルビジネスコンテスト」を開催し、様々な事業が生まれると同時に交流の輪が広がった。
今の僕は、この頃の「チャレンジ(実現)で繋がった仲間たち」に支えられている。
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当時のキャッチコピーは、「思い立ったら起業、行き詰ったら起業、失敗したら起業」で、決して成功や金儲けを目指していない。
それは、多くの相談者が成功や金儲けでなく、自分がやりたいことは何なのか、そしてそれを実現するにはどうすれば良いのかということだった。
とかく、「誰もが成功を望んでいる」と思われがちだが、「成功」は人によって様々だ。
「いくら稼いでも幸せになれない」と言う人は、「幸せ」を具体イメージせずにとりあえず稼いだだけなので、「幸せ」とは真逆に進んでいるのかもしれない。
「実現」とは、頭に思い描いたことを現実にすることなので、始めに目的を決めなければ方法を決められない。
それを明確にするために、僕は「起業」や「チャレンジ」を「実現」と言い換えて、自分の原点に立ち戻ることにした。
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2011年の東日本大震災で日本の破たんを確信した僕は、アントレハウス駒沢を開設して実現支援を自営化し、
2014年からは、せたがやソーシャルビジネスコンテストで出会った仲間と共に設立した「笑恵館」に拠点を移し、どこでも開催できる身軽な事業に変化した。
その後、名栗の森をはじめ様々な場所の利活用を相談されたが、僕の提案は全てが「実現支援・交流の場」となった。
そして、昨年からは大田区東矢口で「ふきの庭」というプロジェクトを立ち上げて、現在その一角で「メゾンふき」というシェアハウスを立ち上げている。
一見様々なことをやり散らかしてきたと思いきや、実はすべてが「実現支援の場づくり」だったことに気が付いた。
んん待てよ、これまで抵抗があったのは、「自己実現」とか「自己啓発」の「自己」かも知れない。
ならば、もっと堂々と「自己」を外して、僕は「実現支援家」とか「実現コンサル」と名乗って、会員制の「実現倶楽部」を作りたい。
さあて今夜は、徹夜覚悟でサイトの修正だ。
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