辻説法@現地

残された時間でやるべきことは何なのか、歳と共に焦りが募る。
もちろん考える、伝える、書き残すという一石三鳥の作業としてこのブログを書くように、他にも定例の会議や活動を自らに課している。
だが、それらはすべて僕がやるべきことというよりは、やるべきことを模索するためにやっている気がする。
確かに、探し物は探さなければ見つからないが、暗中模索で行き当たりばったりの手探りでは、いくら探しても埒が明かない。
だからこそ、僕は面白いことにこだわって、眼前を明るく照らしながら探したい。
一体何を探しているのか、仮で良いからひとまず決めて、明確にしなければ見つかるはずなどある訳がない。
名栗の森で先日開催した見学説明会に、身内のIさんしか来ないので、上記を悶々と考えながら通りすがりの登山客に話しかけると、次第に話が面白くなり素敵な気付きが降ってきた。
そこで今日は、それをブログに書くことで、考え、伝え、忘れないように書き留めたい。

まず、僕が伝えたいことは、僕たちの仲間になるお誘いだ。
それは主従(従業員)でも主客(お客)でもない、主体的にコミュニティに参加する「構成員」のことで、あくまで対等な関係だ。
従って、相手がどんな人か気になるのはお互い様なので、対面で直接対話することが欠かせない。
僕のサービスやセミナーが単発でなく継続的なのは、全てが仲間づくりのためであり、初回無料や随時対応などあの手この手でお誘いするのは、全てがそのきっかけを作りたいからだ。
だが、いくら門戸を開いたり、敷居を下げて誘っても、水の甘さが分からなければホタルだって来てくれない。
かといって、相手の心に探りを入れて、喜ばれそうな誘い文句を考えるのも、逆の立場で考えると気持ち悪い。
その点、道行く人に声をかけ、こちらの思いを熱く伝えるだけなら、誰にでもできることだし、勇気と熱意だけは必ず伝わるところが素晴らしい。

次に、コミュニティには場所(縄張り)が必要だ。
そもそもコミュニティとは、何かを共有する集団のことで、その何かに制限が無いことを多様性という。
例えば、課題の解決策が様々あれば、その解決策を共有するコミュニティもまた様々あるべきだ。
だが、たとえ解決策を共有できてもそれを実施するには場所(空間)が必要な上に、そこを使用する許可も欠かせない。
その許可する力を所有権と呼び、所有者が持っているので、コミュニティに必ず土地所有者を加えるのが僕のやり方だ。
その逆に、土地所有者が自分の夢を叶えたいなら、その夢を分かち合う仲間を集めれば良い訳だ。
縄張りとはその解決策を実施する範囲のことで、それを地域(小さな国)と呼びたい。
日本土地資源協会とは、土地を売るための資産でなく、縄張りとして自由に使える資源にする団体だ。

そして最後に、そのコミュニティが個人の死を乗り越えて継続すること。
もちろんコミュニティの存続には、永久に無くならない土地という資源は不可欠だ。
地域の最小単位を土地とすれば、そこに暮らす家族は所有者と縄張りを共有するコミュニティだが、家族の崩壊はすでに始まっている。
親は仕事や財産の継承を子供に強要できないし、そもそも子どものいない家族が激増している。
僕も他人の家族を推奨するものの、他人ではなおさら強要できず、自主・自発的な継続参加が求められる。
コミュニティに必要なのは、その土地での小さな国づくりに、自発的参加してくれる老若男女。
そこで暮らしても良いし、たまに来るだけでも良い。
そこを故郷と思って旅立っても良いし、いつでも帰って来て欲しい。
成功して儲かったら寄付してもらいたいけど、失敗して困ったらいつでも避難して欲しい。

ここで目を付けたのが「通りすがりの人」で、僕が呼んだのでも、誘ったのでもなく、自発的にこちらに来てくれた人たちだ。
名栗の森の登山者数名に声をかけただけで、説明資料はあっという間に無くなり、僕の3つのモヤモヤ全てが解消した。
「辻説法@現地」こそが、僕の探し求めていた仲間探しのテクニックだと、確信したのは言うまでもない。
現在稼働中の土地資源プロジェクトは、笑恵館、ふきの庭、名栗の森、一宮庵の4件なので、全てについて実施したい。
まずは、辻説法用の説明資料を作成し、配布するチラシと誘導先のwebサイトを整備しよう。
また、午前と午後、平日と休日などのバリエーションも考慮しながら、定例的なスケジュールを作成したい。