松村GPT!

先日、起業支援中のKK君からサポートの要請があり、早速打合せに駆け付けた。
彼と一緒に立ち上げた小さな会社は、建設業許可を持つコンサル会社。
僕は建設業登録に必要な経営責任者として所属して申請手続きなどを担当し、その後は受注協力に専念したいと願ったが、企画・設計・施工まで何でもKK君が一人でこなすので、お呼びがかかるのを待っていた。
作業の内容を尋ねると、四国での某開発案件の企画書づくりの相談で、まずはクライアントに熱意を伝えるために、ラフな事業企画を作成したいという。
いつもChatGPTなどのAIソフトを活用して、情報収集と要件チェックを行い、たたき台の企画書を手早くまとめるのだが、そんな作業に加え、設計作業や現場監理が山積してしまい。手が回らないという。
「だったら、僕が代わりに現地に行って現地調査と与条件チェックをすればいいのか?」と尋ねると、「いえ、旧知のクライアントからの相談なので、自分で現地に行きたいが、その時手ぶらで行きたくない」という。
ならば、まずは君の仕事ぶりを見せてもらい、どんな手助けができるか提案したいと告げると、彼はさっそくAIとのやり取りをスタートした。

作業の詳細は割愛するが、AIを使った仕事ぶりを初めて目の当たりにした僕にとって、それはまさに生まれて間もないロボットとのやり取りだった。
まずはAIソフトに自分のプロフィール(アイデンティティ)を定義して、どのように考えるのかを規定する。
例えば、「地域の特性を生かす事業コンサル」として、簡単な宿泊施設の計画を指示する。
すると、AIは瞬時に「それなりの答え」を返してくるので、その不備を指摘したり不足情報を加えるやり取りを繰り返し、ものの数分でとりあえずの答えに到達する。
これまで一人でこなしてきた情報を探し・選び・整理する作業のほとんどをAIに委ねることで、優秀な部下とのやり取りが実現する。
AIが返してくれる答えは、決して正しい訳でも素晴らしいわけでもないが、その速度だけは誰よりも早いので、やり取りによってその精度を上げるスピードもおのずと速くなる。
KK君に言わせると、まさに壁打ちの相手になってくれることで、こちらが鍛えられるのを実感するという。

この様子を見て、僕は自分の昔を思い出した。
かつて僕が建築設計の仕事をしていた頃、僕のとりえはスピードだった。
子どもの頃から様々な模型を作る工作オタクだったので、立体模型を作る速さだけは誰にも負けない自負があり、建築の相談を受けるとすべてを後回しにして要件をざっくり整理して、数時間以内に模型を作った。
クライアントは僕と別れた数時間後に「とりあえず模型を作ったので見ていただけませんか?」と電話がかかれば、驚かないはずはない。
こうして近日中に、早ければ当日に第1回目の打合せが行われ、建築談議に花が咲く。
ここでは模型の良し悪しなどさほど問題ではなく、むしろ良悪・好悪・要否などに対するクライアントの本音がふんだんにほとばしる。
僕にとってすべての仕事はスピード勝負で、蕎麦屋と違って少しくらい不味くても大丈夫なのは、それが新たなチャレンジだから。
と、そんな話を聞いたKK君は「はい、松村さんっていつもそんな人ですよ、なので松村GPTとなって、僕の壁打ち相手になって下さい」と真顔で言いだした。

という訳で、ここからが今日の本題だ。
僕は「人工知能のような壁打ち相手になって欲しい」と言われたことで、改めて人間と人工知能との関係が気になった。
「人工知能」に対し、「人工で無い知能」のことを「自然知能」というらしいが、その比較を早速調べてみた。
自然知能は、自然界における複雑な現象やシステムを理解し、それらに適応するための能力で。例えば、鳥が季節の移り変わりを予測したり、昆虫が最適な巣作り場所を見つけたりする能力も自然知能の一環と言える。
一方で、人工知能は、人間が設計したアルゴリズムやプログラムに基づいて動作するコンピューターの知能で、自然知能を模倣して、機械が人間のように思考したり、問題解決したりすることを目的とする。
つまり、僕が自分で考案したアルゴリズムやプログラムを駆使して思考するならば、まさに人間を使った人工知能と言えるのかもしれない。
だとすれば、思考速度や記憶容量を高めることもさることながら、僕のキャラクターを明確にすることこそが重要だ。
アントレハウスと称して、実現学や地主の学校などのプログラムを作りまくる自分は、まさに松村GPTを目指していたのかもしれない。

「Generative Pre-trained Transformer(GPT)」を無理やり翻訳すると、「生成的事前学習済み変換器」となる。
あらかじめ学んだ知識を、新たな発想を生むための仕組みとして活用することは、まさに人間が最も得意とすることだ。
すでに高度な自然知能を搭載し、自律的に活動する上に子孫を生むことで持続する人間が、コンピュータという外部メモリーや計算機までも駆使して知能を生成するなんて、僕ら人間はなんてすごいんだろう・・・と、今日は勝手に感動した。