
先日米国アカデミー賞の各賞の候補が発表され、日本から3つの作品がノミネートされた。
そのうち、短編ドキュメンタリー賞の候補には、山崎エマ監督の日本の小学校を舞台にしたドキュメンタリー映画「Instruments of a Beating Heart」が選ばれた。
この作品は現在公開中の「小学校~それは小さな社会~」から生まれた23分の短編版。
(『ニューヨーク・タイムズ』運営の動画配信サイト「Op- Docs」にて配信中)
イギリス人の父と日本人の母を持ち、日本の公立小学校に通った山崎エマ監督は、海外生活を送る中で気づかされた“自分の強み”は“日本人ゆえ”であり、遡ればそれは、公立小学校で過ごした時間に由来するのではないかとの思いに至り、「小学校を撮りたいと思った」ところからスタートした。
コロナ禍の2021年4月から1年、150日、700時間(監督の小学校滞在時間は4,000時間)にわたって撮影を行った。
実は、撮影現場となった世田谷区立塚戸小学校は、60年前の僕が通った母校だったので、周囲にも自慢げに言いふらす最中に、このニュースを知らされた。
これで僕の吹聴は、一段と勢いを増すのは確実だが、今日は少し冷静に、論旨を整理してみたい。
・
そもそもこの映画に関する僕の自慢とは、当事者感覚と、自分ならではの感想と評価を持てること。
海外での高評価が先行して、凱旋公開的に広がったこの映画の舞台がわが母校である自慢と驚きが、映画館に足を運ぶきっかけだが、実際に観てみると、余計な説明は一切なく、校内での日々の様子が淡々と映し出されるだけの2時間だ。
冒頭に映る「塚戸小学校」の銘版と、入学式で歌われる「校歌」を見ただけで、今でも校歌を暗唱できる僕が没入したのは言うまでもない。
あとは、関わり合う子供たちと、それを見守りながら悩み考える先生たちの姿を見て、涙と鼻水が止まることは無かったし、周囲のアチコチからもすすり泣く声が聞こえてきた。
もちろん僕は、一切の先入観なしにこの映画を見たわけではなく、「コミュニティづくりの教科書(フィンランド)」、「自分たちのことを自分たちでやる(アメリカ)」、「子どもたちの責任感と子どもを信頼する先生たち(ギリシャ)」「表情、動作の姿勢、個性が生き生き(韓国)」など、各国からの評価も見ているが、先生や父兄のみならず、子ども時代の自分を重ね合わせて「鑑賞」でなく「体感」する映画だった。
・
1年間の密着取材と撮影を通じて描き出される光景は、もちろん山崎エマ監督が明確な意図を持って切り取った部分なので、その意図が感じられるのは当然だ。
だが、そこで何を感じるかは、見る側に委ねられ、むしろ「何を感じるか」を問いかける映画であることが強く感じられた。
その問いかけが凝縮され、映画のタイトルに結実したと思うと興味深い。
英文でスタートした本作の原題「The Making of a Japanese(日本人の作り方)」は、まさに山崎エマ監督本人が本作を発想した原点で、海外向けに発信する意図が感じられる。
それが、当事者(国)である日本での邦題は「小学校~それは小さな社会~」となり、ナショナリズム(愛国意識)との関わりを避けている。https://shogakko-film.com/
そして、今回ノミネートされた短編「Instruments of a Beating Heart」とは「鼓動する心臓の楽器」とでも訳されるのか。
日本を含む世界に向けた、より抽象的・比喩的・概念的なタイトルに変化している。
見る側に解釈を委ねるだけでなく、見せる側も3つの名前を使い分けていることが面白い。
・
という訳で、僕がこの映画をお勧めするのは、この映画が「面白いから」でなく、この映画を「面白いと感じられるかどうかが試される映画だと思うから」だ。
ちなみに、僕が面白いと感じた点は次の3つかな。
1.諸外国に対する現状日本の優位性
2.学校での学びと個人の勉強の違い
3.子供にもわかる説明の重要性と有効性
でも、振り返ってみれば、日本土地資源協会など「日本へのこだわり」や、まつむら塾での「学び」や「説明」へのこだわりなど、自分自身がこだわっているからこそ、そこに興味と問いを持ち、気付きと面白さが得られるのだろう。
周囲に合わせたり、流れに乗り遅れないためでなく、こだわりと言う自分自身に出会うため、この映画はお勧めだ。
現状、上映館はわずかだが、アカデミー賞ノミネートにより一気に拡大するかもしれないので、ご覧いただき感想をお聞き出来れば幸いだ。