年金について(再)

先日笑恵館で作業していたら、近所のOさん宅で仕事場レンタルしているMYさんが遊びに来て、何となく年金制度の話になった。
というのも、彼女の前職は「GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)」の職員なので、彼女の顔を見るとつい年金運用の話をしたくなる。
ご存知と思うが、GPIFは約170兆円の年金基金を運用する世界最大の投資機関で、2001年の開業以降累積150兆円以上を稼ぎ出している。
当初はインフレによる基金の目減りを防ぐため、1.5%程度の収益率(年)を目指したが、その規模の大きさと長期運用の強みが発揮され、約3倍(年平均4.36%)の収益率を達成している。
このことが年金制度とどのように関係しているのかを論じたくなったのだが、調べてみたらなんと10年前に「年金制度の是非」と題してブログを書いていた。
https://nanoni.co.jp/141120-3/
そこで今日は、このブログを再掲しながら、これからのことを考えてみたい。
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さて今日(2014/11/20)は、柄にもなく「年金制度」の話。
年金制度は、高齢期の生活の基本的部分を支える年金を保証する仕組み。
実は先日、NHKの番組を真面目に聞いて、いろんなことを初めて知った。
こんなこと、当たり前だという人も、知らなかった人も、ちょっと聞いて欲しい。

まず、年金は「3階建て」でできていて「1階:国民年金、2階:厚生年金or共済年金、3階:企業年金など」となっているが、3階はオプションみたいなものなので、ここでは省略する。
1階は、国民全員が入る年金で、健康保険とセットみたいなもの。
これがあるから日本は「国民皆保険」が実現しているとなるそうだ。
会社を辞めた後うっかり保険に入り忘れていても、国民は全員この保険に入ってることになっていて、後は手続きの問題だけ。
年金も、加入していないのではなくて、滞納していることになる訳だ。
1階の国民年金の上には、サラリーマンのための厚生年金と公務員のための共済年金があるが、この「1階と2階の違い」が、僕にとって未知だった。

まず、1階の国民年金が「自由業を想定した年金」であるということ。
自由業の人は定年がないので、年をとっても働けるから最低の保証で頑張ってもらう。
次に、2階の厚生年金や共済年金は、サラリーマンや公務員には定年があり老後は収入がなくなるので、現役時代にたくさん積み立てて、会社も半額負担して、扶養配偶者ももらえる仕組みになっている。
とってつけたように聞こえるかもしれないが、こうした「前提」に基づいて年金は設計されていることは確かだ。
「前提」とは、あらかじめ決めた未来のこと。
私たち国民は、誰もが最低限「自由業(=死ぬまで自分で何とか稼いでいく)」で生きていけるようになる必要がある訳だ。
次に、会社や役所は、あらかじめ老後の分と扶養配偶者の分も必死に働かせる代わりに、年金の半分は負担しなければならないと考えられる。
だとすれば、すべての人に与えるべきは、「起業のチャンス」のはずだし、企業が非正規雇用を増やして「年金逃れ」をしやすくする制度はあってはならないはずだ。
年金を作り、これを運用している政府が、自らこれを阻害するようなことをしていることは、間違いだと断言できる。
これが第1の発見だ。

次に本題の「年金制度」についてお話ししたい。
「年金制度は、高齢期の生活の基本的部分を支える年金を保証する仕組み」と初めに書いたが、肝心なのは「年金を保証する」という部分だ。
日本の年金は「拠出制年金」といって積立に応じて死ぬまで支払われる。
早く亡くなればお金は余るが、長生きすれば積立以上のお金をもらえる・・・これが貯金と年金の違いで、年金制度とは「みんなでこの仕組みを守っていこう」というものだ。
だから、今日現在でも年金を維持するための計算がなされていて、支給開始年齢を変えたり、支給額を減らすなどの手段が講じられている。
それでも「個人の貯蓄より年金の方が有り難いかどうか」が問題だ。
これが第2の発見で、僕は初めてこのことを真面目に考えた。

1つ目の発見は、年金の良し悪しでなく、年金を作る時に目指したことと、その後にやっていることが矛盾しているという問題点。
扶養家族とは何なのか、派遣労働とは何なのか、はいずれもが「雇用(=企業が人を労働させること)」に関する問題だ。
「扶養と年金」を支援することこそが、人を奴隷でなく人間として扱うことなのかも知れない。
2つ目の発見は、年金制度の本当の是非について、きちんと議論していないという問題点。
実は年金制度を破たんさせるのは、制度の欠陥でも見通しの甘さでもなく、国民自身がこの制度を見限り、年金を払わなくなることだと思う。

それじゃ、松村さんは年金に賛成なのか? 
僕自身は年金をあてにせず、自由業で死ぬ瞬間まで働きたいと思っているが、恐らくみんなの老後にとって貯金よりも年金の方が良い制度だと今回気付いた。
「若者たちが年を取った時に年金がもらえないとしたら、それは自分が払わなかったからではなく、その時代の若者が年金を払わないからだ」と、学校で教えるべきはこういうことだ。
こうした本当の説明をしようとしないのかできないのか、そのことに僕は強い怒りを覚える。
本当の問題は何か、本当の解決策は何か。
自分自身の答えを持つことで、僕たちは人間になれるのではないだろうか。
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今国会で論じられている「年収の壁」とか、初めに紹介した「年金基金の運用」とか、僕たちは自分自身の老後の暮らしに関する議論と思うべきだろう。
そして、「自分がどんな老後を目指すのか」こそが、未来を描くことになる。
ちなみに僕は、全ての人が保証され得る「国民年金程度の収入」で、楽しく暮らせることを立証したい。
なぜなら、成功者だけでなく失敗者も、みんなが幸せになるべきと思うから。
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