先回は、「価値と価格」の言葉と意味が何やら逆転しているのではないかという気づきについて、勝手な自論を展開したが、今日はこれが言葉にとどまらず、世界にも影響を及ぼしていることについて論じたい。
そこでまず、「価値と価格」の関係をもう少し明確にするために、「お金」を使って説明しよう。
「価値」とは、物事の値打ちや大切さを他の物事と比べることだが、「価格」はそれを「お金」と比べることだ。
もちろんその主体は自分とは限らないので、価値や価格は一律でない。
同じ物事でも、人によって価値が異なるからこそ、同じ価格が高く思えたり安く感じたりする。
だが恐らく、ほとんどの人は「価値と価格」は比例関係にあり、価値が高ければ価格も高く、価値が低ければ価格も低いと考えるだろう。
今日の僕は、この落とし穴について論じてみたい。
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すべての「物事」には「価値」があるからと言って「価格」があるとは限らない。
例えば人間の命や素晴らしい景観など、世界には価値はあっても値段(価格)のつけられないものが溢れている。
その一方で、「お金」は「価格」に対応するために存在するが、それ自体の「価値」には意味が無い。
1万円札は、価格が1万円の品物を購入できるが、その原価が約20.4円であることになど全く意味が無い。
つまり、その「価格(額面)」こそが「お金」の価値であり、そこに個人差は介入できない。
「価値と価格」とは「人それぞれ(個別)の値打ちと共通の値打ち」とも言える。
もちろんここで言う共通とは、一律でなく共通の尺度で計測することで、1個100円のリンゴの価値はヒトによって異なるが、その価格は誰にとっても100円で共通という意味だ。
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だとすると、先ほど言った「値段のつけようがないもの」とは、「他人に値打ちを説明できない価値」ということか。
実際に「値段」を付けられない理由は、人間の命や自分の家族など「かけがえのない大切なもの」だったり、富士山や地球など「自分だけのもの」でなかったり様々だが、それらは「売れない」のではなく「売る気はない」という意思表示に過ぎないとも思える。
そもそも売るということは、その人にとってはモノより「お金」に価値があり、どんなに価格が高くてもそれは「お金と交換したい不要なモノ」でしかない。
つまり、「価値と価格」は等価でなく、買い手にとっては「価値>価格」だが売り手にとっては「価値<価格」となる訳だ。
結局、売らないとか売れない理由は、手放せないからであり、それを「大切」と言うのではないだろうか。
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売る側ばかりでなく、買う側についても考えよう。
何かを買う理由は、その「必要性(欲しい)」と、「換金性(売れる)」の二つ。
以前「道具と材料」というブログを書いたが、物事は道具であればそれを使用し、材料であれば消費する。
楽しい体験や美味しい料理は、満足という価値を生み出す材料なので、自分で消費すれば消滅するが、住宅や衣類などは道具なので、使用後に中古品として売却(換金)できる。
もちろん道具も使い切って消費や廃棄する場合もあるが、そうなる前に売却することで、購入時の負担を軽減することができる。
買い手にとってもちろん「価値>価格」が望ましいが、売却時の利益を得るためには「価値<価格」が望ましい。
つまり、「売却」を前提とするかどうかで、「価値と価格」の関係は完全に逆転する。
こうして考えてくると、「価値」は高いほど値打ちがあるが、「価格」は高ければいいというモノではない。
むしろ売る気のない自宅の値上がりは、税負担の増加というデメリットでしかない。
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それでは、価格という共通の尺度を頼らずに、価値を共有するにはどうすれば良いのだろう。
「一人の生命は全地球よりも重い」という言葉はまるで具体性のない表現だが、ハイジャックの身代金、被災地での人命救助、そしてコロナワクチンの購入などで明らかに機能している。
値段がつけられないことは、決して「無料」を意味する訳ではない。
また一方で、「タダより高いものはない」という言葉も常識だ。
無料で物をもらったり、理由のない好意を受けたりすると、お礼の品物に金が必要となるし、相手の無理な要求にも応じなければならぬことになって、かえって高価なものにつくことをいう。
無償で何かを引き受けるということこそが、何よりも高価なことを意味している。
だがこれこそが「有り難い・価値あること」と言えることを忘れてはならない。
何かを「無償でしてもらう」には、「無償でしてあげる」人が必要だ。
先日書いた「もらってあげる」は、まさにこのことを述べている。
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僕はあえて「タダより高いものはない」でなく「タダほど等価のものはない」と言い替えたい
これこそが僕の推奨する「包括継承」で、他者の権利や義務のすべてを受け継ぐことを指し、法律用語では「一般承継(個人の場合相続)」と言う。
「権利と義務の総体」とは「事業」のことであり、その承継は無償で行うことが基本となる。
なぜなら「事業の価値」を共有する者同士にとって、譲る事業と受ける事業の価値は等価に違いない。
これに対し、「M&A(Mergers(合併) and Acquisitions(買収))」などによる事業承継は、当事者間の事業価値差額を査定して、その金額を事業価格として売買する。
なので、無償で事業を譲渡することこそが、「事業価値の共有」に他ならない。
寄附と売買の違いもこれと全く同じこと。
交換の差額を清算するために対価を支払う売買に対し、その使途の価値を共有(理解)することで代償を求めない(無償)支払が寄付となる。
「価値」は目的だが、「価格」は手段に過ぎない、これが今日の結論だ。
自分に残された限りある時間を、自分にとっての「価値」のために使うのか、「価格(お金)」のために使うのか、、、答えは明らかだよね。