成功と満足

僕はいつも、「倒産経験が僕の原点です」と話しているが、それは「倒産経験」が人生の転機になったことを意味している。
倒産の3年前、僕は父の作った建設会社の2代目代表取締役に指名され、周囲の人たちから祝福された。
社長になるのは名誉なことだし、祝福されるのは嬉しいことのはずだが、僕の本心はその逆だった。
そのいきさつについては省略するが、自分が望んでいないからと言って、周囲の賞賛や祝福を否定できないもどかしさは、今でも忘れられない。
父の気まぐれで私立の名門中学に進学した時も、父の支配から逃れるために東大を受験した時も、望んでいない賞賛を受けるたびに僕の心はひねくれていった。
だが、僕が一番嫌いだったのは父ではなく、本音では反抗したいのに、周囲に良い顔をしてしまう自分自身だった。

そんなときに出会った会社の倒産は、明らかに破たんを招いた失敗であり、決して僕が望んだものではなかった。
それまで、ちやほや持てはやしてくれていた周囲からは、露骨に誹謗や中傷を浴びるようになった。
だがそれは、うろたえる父やその取り巻きを宛てにできない人たちが、僕に初めて本音をぶつけてくれた瞬間だ。
僕は、湧き上がる不満と不安が課題解決へのやる気を高める原動力となるのを、強く実感することができた。
そして、自分の非力を知ることで相手から学べることや、一見敵のように接してくる人の中にこそ信頼できる仲間がいることなどを学びながら、会社を潰して仕事を続ける「自分なりの継続」を模索した。
その結果実現できたことと言えば、「倒産回避」ではなく「稀有な倒産プロセス」に過ぎず、決して成功と呼べるものではなかったが、僕自身いまだかつて経験したことのない達成感=大満足を得ることができた。

この経験は僕に「常に大満足を追求する」という大きな変化をもたらした。
倒産と同時に立ち上げた新会社の経営は決して順調とは言えなかったが、苦しければ苦しいほど得られる成果の喜びは大きくて、多忙な日々を満喫していた。
やがて、更なるチャレンジを求めて会社から離脱して、世田谷ものづくり学校の校長に着任してからは、本業である学校事業の立て直しよりも、世田谷区役所や近隣住民、そして来訪する若者たちの困りごと相談にのめり込んでいった。
大部分は「うまくいかない、どうすればうまくいくだろう」という成功を求める相談だったが、面白いのは、ある意味でその逆の相談だ。
「仕事がうまくいっても満足できない」とか、「高収入で恵まれているがこれで良いのか」など、「成功の不満」に関する相談だ。

そもそも、こんな相談に興味を持つこと自体が、僕ならではのことだろう。
破たんすることで、成功の不満が消滅し、せめて「満足できる失敗」を追求しようと切り替えた。
当時、倒産の様子を業界紙「NEXUS」に連載した時のタイトルを「倒産覚悟の経営のすすめ」としたのも、倒産(失敗)を想定することで、成功以外の価値を考えて欲しいという意味だった。
やがて、「成功の不満」を堂々と口にする人に出会うことで、僕は目が覚めた。
以前「成功と失敗」でも論じたとおり、成功には成し遂げたことに加えて地位や名声を得ることが含まれる。
自分の満足を明確にせず、とりあえず何かを成し遂げた人は、それが自分の満足と異なることに気付いて愕然とする。
いくら収入が多くても、仕事が繁盛しても、不満が募り不幸になる人がいるのだが、他人から賞賛され羨ましいと言われると、不満すら言えなくなってしまう…という不幸がある。

ところで、今日はなぜこんな話をしているのか。
今朝はパリオリンピックが閉会し、多くのメダリストが称えられ、その喜びをにこやかに語っているからだ。もちろん、全てのメダリストに語られるべきドラマがあるし、さらに言えば、全ての出場者やスタッフ家族、そして関係者に至るまで、「勝ちと負け」があるだろう。
一般に「勝ちと負け」は「成功と失敗」と決めつけがちだが、僕はその裏に隠れている「満足と不満」に思いを馳せてしまう。
なぜなら、少なくとも僕にとっては「成功」よりも「満足」の方が大切だから。
もちろんそこに正解は無いし、本人の満足(幸福)だって常に変化しているかも知れないし、「成功こそが幸福」という人だっているだろう。
でも僕は、自己満足の妥協なき追及を本業にしたいし、そういう人をサポートしたい。
そんな思いを込めて、「自己流道場」のサイトを整備した。
https://nanoni.co.jp/college/