土用丑の日が近づくと、鰻の話が盛り上がる。
去年に続いて今年も猛暑が続く中、「鰻=スタミナ」という思い込みが食欲をそそる。
先日、「今年のうなぎ事情」というタイトルに釣られてテレビを見ていたら、面白い話が聞けたので紹介したい。
それは「鰻の成瀬(なるせ)」というチェーン店の話。
一尾が丸々入った松の値段は2600円で、半尾の梅は1600円。
一般的なウナギ専門店の半額ほどで本格的なウナギが食べられる。
こうした価格と品質を武器に「鰻の成瀬」は2022年9月に1号店をオープンしてから、2年足らずで165店舗と急拡大。
創業者の山本社長は、飲食業界は未経験ながら、様々な業種のフランチャイズビジネスの経験を生かし「鰻の成瀬」のチェーン展開を進めているが、そこには2つの理由が有るという。
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第一に、職人の代わりにウナギを焼く装置を導入したこと。
中国で養殖したニホンウナギを現地で一次加工して冷凍されたものを搬入し、「素人でもボタン一つでおいしくウナギが焼ける機械」で焼き上げる。
ウナギは「串打ち3年、焼き一生」と言われるが、「鰻の成瀬」は職人の代わりにわずか5分でおいしく焼き上げる装置を導入し、高騰する人件費を抑えている。
そしてもう一つの理由が「普通の飲食店ならかなり厳しい立地」で家賃を削減できること。
成瀬が出店するのは基本的に駅から離れた住宅街やロードサイドだが、「ウナギを食べようと目的を持って来店する人が多い」というウナギの店ならではの強みを生かしている。
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さらに、飲食業界の苦しい事情が「鰻の成瀬」にとっては追い風になっている。
円安による原材料費の高騰や人手不足などが要因で、昨年度倒産した飲食店は全国で802店と過去最多を記録。そんな閉店した物件を狙って「鰻の成瀬」は出店攻勢をかけている。
焼き肉店など、前の店の厨房機器や家具を利用することで出店コストも抑えられる。
昨今、どこのスーパーでも見かけられる鰻パックの価格は、2千円や3千円台が当たり前。
たれの染みた調理済みパックをレンジでチンして食べるより、たとえ機械式でも店で焼いた鰻を食べた方が美味しいに決まっている。
逆境だらけの現状だからこそ、発想を変えればチャンスだらけになる好事例を、まさに目撃できるという訳だ。
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だが、僕が一番驚いたのは、その後のこんな話だった。
先述の通り、成瀬のうな重の値段は「松2,600円」、「梅1,600円」に加えて、「竹2,200円」なのだが、お客様には見栄を張って「松や竹」を注文せず、堂々と「梅」を注文して欲しいという。
というのも、とかく「松竹梅」は「質の高い順」を示していると思われがちだが、うな重については単に鰻の量を分けているに過ぎない。
つまり、「松=大、竹=中、梅=小」なので、大量に食べたい人以外は「梅」で十分だということだ。
店側が、安いメニューを進めてくれるのにまず驚いたが、そもそも「松竹梅」って何だろうという疑問が湧いた。
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デジタル大辞典によれば、しょう‐ちく‐ばい【松竹梅】とは松と竹と梅。
1 三つとも寒さに耐えるところから、歳寒三友とよび、めでたいものとして慶事に使われる。
2 品物などを三つの等級に分ける際に用いられる語。ふつう松を最上級とする。
3 うなぎ屋で長時間待たされることを「待つ(松)だけ(竹)うめ(梅)え」としゃれていう語、かつて、うなぎの蒲焼きは注文を受けてからさばいて焼いたので、時間がかかったことから。
とある。
この2番目の意味に加え、3番目のエピソードがあれば、寿司のように「松竹梅」が「上中下」を意味するのは無理もない。
だからこそ、成瀬の言う「堂々と梅」という言葉が響くのだろう。
つまり、「上を貴ぶ勝ち負け」でなく、「量を選ぶ好き嫌い」へと価値基準を変えてみようという提案だ。
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かつて作家の藤本義一氏が、「人生は、勝ち負けか、損得か、好き嫌いか、善悪か?」と言った。
人は、人生を評価する価値基準を4つ持っていて、これを選びながら生きている…という意味だろう。
これを価値基準的に言い換えて、定義価値、比較価値、主観価値、客観価値としてみよう。
好き嫌いと善悪の違いは、主観と客観の違いで説明できるし、損得を相対性を加味した比較価値と言い換えるのにも、さほど無理はないと思う。
だが、勝敗を定義価値と言い換えることについては、少し説明を加えたい。
勝敗は、あらかじめ決められたルールに基づいて決まることが大前提だが、ルールの決め方に関するルールは無い。
つまり、自分に都合の良いルールに相手を誘い込むことができれば、勝ち続けることが可能となるので、あえて「ルールを決める=定義」が価値を決める「定義価値」と名付けてみた。
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ロシアやイスラエルが、どれだけ世界から非難されようと、負けずに戦い続けられるのは、自分のルールで戦っているからだ。
常にルールを操作して、勝ち負けを固定化して格差化することを「既得権益」と言い換えてもいいだろう。
その結果、負け続ける人々は「負(ふ)」ではなく「負け」のスパイラルから抜け出せない。
鰻の成瀬が「松竹梅」の「梅」が負けではないというルールを作ったことで、多くの人が押し寄せたのは、安い鰻を食べることを負けと考える人が大勢いたからに他ならない。
「負け」を「勝ち」に変換することで、「負けのスパイラル」を「勝ちのスパイラル」に変えたと言える。
たとえささやかで「小さな勝ち」でも、それが渦を巻いて繰り返し周囲を飲み込んで行けば、やがて大きなうねりとなる。
「小さな国づくり」に取り組む僕自身の真の狙いに、今、気づいた気がする。