感動のつくり方

ビートルズのアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラヴ・バンド』発売からたった3日後の1967年6月4日、ジミ・ヘンドリックスがロンドンSaville Theatreで行なったショ―のオープニングで、このアルバムタイトル曲のカバーを披露した。
そしてジミは、1967年6月18日カリフォルニア州モンタレーで開かれた世界初の本格的野外ロックフェス『Monterey Pop Festival』に出演し、スーパースターへの道のりが始まった。
元々モンタレーにはビートルズが出演を依頼され、スタジオに缶詰でライヴ活動しない時期なので出演を断るが、ポールがジミを大推薦した。
共に1942年生まれだが、ジミは1970年27歳で死去し、ポールは2022年80才を迎える対照的なレジェンドだ。
ポールは近年のライヴで必ずジミの「フォクシー・レディ」でギターソロを披露して、最後に「ジミ・ヘンドリックスに捧げる」と、上記のエピソードを披露する。

これは、ビートルズのポール・マッカートニーと、ジミ・ヘンドリックスをつなぐ友情の物語。
スーパースターのエピソードが胸を打つのは珍しいことではないが、このエピソードはなぜか特別だ。
なぜ特別なのか、今日はこのことを考えたくて、とりあえずここまで書いてみた。
まず乱暴にまとめると、ジミがポールをリスペクト→ジミがポールの推薦により→ポールがジミをリスペクト、ということか。
もちろんのは、ジミが発売直後に誰よりも早くポールの曲を演奏したことと、それをポールが50年以上経てもなお語り続けていることの2点だ。
2つの感動は、共に「リスペクト」が生み出すものに違いないが、後者のリスペクトはジミの成功無くしてはあり得ないと思う。

確かにジミは歴史的な逸材だったかもしれないが、アメリカで挫折したからイギリスにやってきたことを忘れてはいけない。
もしもジミが、モンタレーで成功することなく若死にしていたら、ポールはこのエピソードを語り続けただろうか。
我ながら、極めて嫌らしい邪推ではあるが、大観衆に向けて披露するに値するエピソードとは思えない。
つまり、ポールがリスペクトしているのは、ジミがポールをリスペクトしたことへの見返りなどではない。
むしろ、ポールが初めから抱いていたジミに対するリスペクトを、ジミの行為が一気に高めることでモンタレーへの推挙を誘発し、その結果成功を成し遂げたことに対して更なるリスペクトを抱いたポールが、それを表し続けているのだと僕は思う。

さて、ここまで書いてきて、僕は「リスペクト」という言葉を無意識に使っていることに気が付いた。
そこであわてて辞書で引くと、「【リスペクト】尊敬。敬意。また,それを表すこと。」とあるが、最後の「それを表すこと」がとても気になった。
尊敬や経緯が何を意味するのかを考えるのは別の機会にして、「尊敬すること」と「尊敬を表すこと」の違いが気になる。
このエピソードが示すのは、「ポールの新曲を自分のコンサートの最初に演奏する」とか、「ジミの曲をすべてのコンサートで演奏してエピソードを語る」という行為が、「尊敬を表すこと=リスペクトすること」だということ。
そして、僕が感動しているのは、この「リスペクトそのもの」だと気が付いた。

「リスペクト」が感動を生むなら、「リスペクトが生んだリスペクト」は、2倍でなく2乗の感動を生むのだろう。
葛飾北斎やアントニオ・ガウディが世界の人々からリスペクトされるのを見て僕が感動するのは、北斎が森羅万象にリスペクトして北斎漫画を書き上げ、ガウディが周囲の動植物や人間の姿にリスペクトして建築を作り上げたからだと思う。
感動を生むには、リスペクトを積み重ねればいいのかもしれない、今日はそんなことを考えた。