円安の先の世界

日本は個人の土地所有が認められていることになっているが、所有に対する税として固定資産税や都市計画税が課税されるので、土地を国から賃借しているに等しい。
そこで僕は、この仕組みを真似て「所有権賃貸」というやり方を編み出して、笑恵館を立ち上げた。
笑恵館の土地建物すべての所有権を所有者Tさんから社団法人が借り受けて、固定資産税などの所有者負担相当額を賃料として支払う契約だ。
契約期間は12月31日までの1年間で、解約の申し出がない限り自動更新する。
Tさんからしてみれば、僕(松村)と二人で設立した法人に貸すということは、個人の自分が法人の自分に課すだけのことなので、何のためらいもなく賛同してくれた。
その結果、この法人は笑恵館の所有経費のみを負担する「実質的所有者」となった。
そして、Tさんが解約し(諦め)ないかぎり、土地建物を売却せずに利活用し続ける「資源」とする「日本土地資源協会」が成立した。

土地所有の法人化は、個人所有から集団による所有に移行することで、孤立する土地所有者を救うためであると同時に、土地を持たない人にも所有権を与えるため。
それなら、わざわざ法人化せずとも、共同所有することでその目的は達せられるだろう。
だが、社会に一人で無く、数えきれないほど存在する土地所有者の孤立を解消するには、より多くの土地を所有する必要がある。
結局、多くの土地とその所有者、そして多くの土地を持たない協力者が。土地を共有しながら利活用を促進するためには、これらの人々が所属し土地を所有する法人が必要だ。
こうしてできた日本土地資源協会は、法人に所属する所有者に支払うのと同額の賃料を、法人に所属する使用者から徴収する非営利法人だ。
つまり、土地を持たない人も土地所有者と同じ条件で土地を使用できるようになる。
「みんなで地主」とはこのことだ(http://land-resource.org/)。
さらに言えば、ここで言う土地使用とは、所有権の転貸であり、国から土地を賃借しているのと同じこと。
つまり、日本土地資源協会は、日本国と同じ役割を果たすことになるので、これを僕は国づくりと呼ぶことにした。

なぜ僕が国づくりに挑むのか、それは日本という国の存続が危ういからだ。
今問題視されている円安は、確かに日本が貧しくなっていくことを示しているが、これを嘆くのは豊かさを享受している人だけであり、豊かさに苦しめられている多くの人には、むしろ朗報だ。
誰もが今の日本に満足しているのでなく、むしろ不満や不信を抱いているのなら、日本の破たんを喜び歓迎すべきだと僕は思う。
現状そのままを継続する存続が危ういのであって、必要なものを残すだけなら、十分存続可能なはず。
では、「国が担わなくてもよいもの」とは何だろう。
それは、「国でなくむしろ国民自身が担うべきもの」だと僕は思う。

まず、国に対しては、全地域に対しあるいは全国民に対し、一律に行う必要の無いもの。
そしてこのことは、都道府県や市町村に対しても同じことが当てはまる。
日本が一つの国で、それが都道府県に分割され、さらに市町村に分かれているわけではないことは、誰でも知っているだろう。
だが、その逆にすべての地域社会=市町村の集まりを都道府県というグループにまとめ、全体を日本政府がまとめていると考えるのも間違いだ。
むしろ僕は、日本という国は日本最大の法人で、都道府県という47の支店を介して1,700を超える営業所によって運営しているソーシャルビジネスを担っていると考えたい。
現状はこの法人が、ついに多くの国民から愛想をつかされつつある状態に過ぎない。

でも、忘れてならないのは、現状の世界は「国家という法人群」によって成立していること。
日本国という法人を維持継続しないと、間違いなく他国という法人が乗り込んでくる。
そこで僕は、日本(法人)存続のため、不採算部門の大胆な民営化を提唱したい。
それはズバリ「地方自治部門」のこと。
すべての行政機関は、国の直轄あるいは出先、下部機関とし、適合しないものは補助や助成も含めてすべて独立民営化する。
国法人は、これらの直轄組織を最大限に活用して、対外事業(外交)に取り汲む。
その一方で、社会事業の民営化は原則として非営利経営とし、地方自治はそれを担う自治法人が成立した地域のみで実施する(アメリカ型)など、世界各地の事例を参考に自由に展開する。

そして、一番大切なことは、これらの変革は現状のまま、できるところから、小さく即座に着手する。
すべての人が、自分自身の存続のため、周囲との共存を模索することが必要だ。
各所で「コミュニティ作り」が盛り上がっているのは、新たな自治の萌芽に違いない。
これからの「地域」とは、平面的な範囲だけでなく、思考的、思想的、概念的、デジタル的など、多次元に展開し、国家は地球上の面的範囲だけの世界を担い手にとどまるだろう。
すでに世界は、GAFAMなどのグローバル企業群と国家群が提供する「インフラ」になりつつある。
「円安の先の世界」で、おどり、演じ、歌うのは、無数の「地域」だということに、今から僕はワクワクする。