都会と田舎

目黒区八雲に暮らすHさんは、今年の春、思い切って(思い切り過ぎて)高知県の山奥に移住した。

オーナーシップクラブに参加してくれた彼女が、森や山林を守る活動に興味を持っていることは知っていたが、まさかいきなり移住するとはびっくりだった。

生まれ故郷にセカンドハウスとして建てた家を安く売ってくれるご縁もあって、徳島県との県境に近い山間地を選んだそうだが、その地名を聞いてもどこだか想像もつかないような、まさに「ど田舎」だ。

以前は、交流マルシェや哲学カフェなどこまめにイベントを開催していたはず、facebookの発信もぴたりと止まり、すっかり音沙汰が聞こえなくなっていた。

だが先日、名栗の森オーナーシップクラブのオンライン例会に、久しぶりに参加してくれて、zoom越しに聞く近況報告に、僕は目を丸くした。

まず、移住とはいっても、東京に家族はいるし、仕事もあるのだから、2拠点生活だと思ってその比率を尋ねると「いや、ずうっといるよ、だって帰れないし・・・」と言う。

「畑をやってるけど、田んぼにも挑戦する、40年放置されてた田んぼを開墾したら、何とか水が溜まるので、これから足で踏み固めたり、とにかく忙しくて、、、」と嬉しそう。

初対面のメンバーもいたので簡単な自己紹介をお願いすると、「ここはゆずで有名な物部町というところですが、毎日が新鮮で、驚きと恐れを経験して、マムシやダニと暮らしていますが、生きてるって実感しながら楽しく暮らしている。」そうだ。

二人で暮らすのは心細くないかと思いきや、毎日近所の人たちが代わるがわる訪ねてきて、途切れることが無い。

人里離れた田舎の山奥暮らしが、寂しいどころか毎日賑やかで、ほとんど毎晩酒盛り状態だというから驚きだ。

さらに、訪れる人は畑で取れた野菜を始め、シカやイノシシなどの肉をたくさんくれるので、食べるものにはほとんど困らない。

都会で暮らしていた時よりずっと人づきあいが多くなり、ひょんなきっかけでその輪がどんどん広がっていく。

Hさんだけは「初めまして」だけど、残りの人たちは「あーら久しぶり」で話が盛り上がり、さらに友達を呼び込んだり、こちらも招かれて遊びに行くようになる。

住み始めた当初は、を連れてきたんじゃないかと怖がられたりしたが、2週間おとなしくした後は、どんどん受け入れて下さることを実感できて、皆さん個性的つまり変な人たちだと判ってくるし、自分も変な人と思われている気がする。

仕事やお金はどうしているのかと尋ねると、東京で立ち上げた会社の仲間とリモート業務の段取りをしたのに、人付き合いと野良仕事で忙しくて仕事する暇が無く、結局仕事は辞めちゃった。

それではお金に困るだろうと尋ねると、暮らしにかかるお金は3万円くらいなので、当分の間貯金で生きていけそう。

近所の人が色々くれるけど、それに対してお金を払うのは野暮なので、お金以外で「お返し」をしなければならない。

そこで、好きなヨガを皆さんに教えることにしたら、これが喜ばれてヨガ教室みたいになっちゃった。

つまり、食べ物とヨガの物々交換で暮らしを支えている感じ。

こんな調子で、Hさんの口から湧いてくる話を聞けば聞くほど、一つの疑問がみんなの頭に浮かんできた。なぜ、人が大勢いる都会より、山奥の田舎の方が賑やかで楽しい交流ができるのだろうか。

考えてみればHさんはこの半年間、田舎の暮らしに馴染むため忙しい日々を送る中で、SNSでの発信どころかオンラインの仕事すらできずにいたわけだ。

こうした人付き合いよりも、仕事や金儲けを優先するために都会で暮らす人にしてみれば、田舎暮らしなんかまっぴらだと思うかもしれない。

でもその逆に、刺激や発見、そして楽しい交流を求めるなら、むしろHさんの田舎暮らしの方がうらやましい。

現代社会の大都会は、人が大勢いるだけで、プライバシーやセキュリティで誰もが孤立して暮らしている。

つまり、喧騒の中で、人里離れた静けさを作り出すことが、スマートな都会暮らしとなったわけだ。

だがまてよ、だったら昔の都会はどうだったんだろう。

ひょっとして、江戸の町は高知の山奥のような賑わいが、そこら中にあふれる百万人の都市だったのではないだろうか。

そこは、今の渋谷や新宿など及びもつかない賑やかさで、面白い(変な)人が行き交いぶつかり合う巨大な田舎だったのかもしれない。

僕は今日、下町の長屋文化を取り戻す「すみだ向島EXPO」を歩きながら思い出していた。

https://sumidaexpo.com/

僕たちは都会の中に閉じこもることで静かな田舎のように暮らすうちに、自然の中で賑やかに楽しく生きる田舎暮らしを忘れかけている。

どちらかを捨てるのでなく、もっと楽しいな生き方を模索しなくちゃもったいないと、僕は思う。