死ぬまで生きよう!

OMさんは、昨年大阪府堺市から単身越してきた、アパートの住人だ。

東京で暮らす二人の息子夫婦たちから、笑恵館への入居を強く勧められ、「息子たちの誘いなら乗るしかない」と、昨年越してきた。

御年83歳は、おばあちゃん(祖母)を超えてひいおばあちゃん(曾祖母)の年頃だ。

堺では、公園に隣接した一軒家にひとり住まいだったが、ご近所にはお友達が大勢いらして、突然の引っ越しに大騒ぎになったという。

だから、名残惜しい気持ちも強かったが、それ以上に息子たちからの誘いは嬉しかった。

笑恵館に来られてからは、とてもアクティブな暮らしが始まった。

月に2回の運営会議はもちろんのこと、様々なイベントにも積極的に参加して、友達もみるみる増えていった。

居室はぼろだが南面2階なので堺の住まいよりもぽかぽか暖かく、息子たちも毎週遊びに来てくれる。

「自分のまちで、最期まで暮らせる家」という笑恵館のコンセプトにも納得できるし、自分でも死に場所が見つかったような確かな満足感を感じ始めていた。

息子たちからは「そろそろ堺の家は売却して、こちらで好きなことをすればいい」と言われ、次第にその気になってきた。

息子たちに誘いを受けて、本当に良かった・・・そう思いかけた時、ふと疑問がわいてきた。

私はこんなに楽ちんで、のんびり暮らしてていいんだろうか。

そもそもここは、本当に「自分のまち」なんだろうか?

笑恵館に来る方たちは、誰もが私をまちの仲間として受けれてくださるけど、どうして私は自分のまちで同じことができなかったのだろう。

確かに笑恵館にはアパートがあるので、その家賃収入でいろんなことができている。

だが待てよ、私もここで暮らすために7万円以上の家賃を払っているけど、このお金で違うことができるじゃないか。

確かに笑恵館は、見事に荷物を片付けて母屋の大部分を開放している。

だが待てよ、私もここで暮らすため、荷物を整理して1Kの間取りに収めているではないか。

笑恵館で暮らして分かったことは、私だってその気になれば、自分の家で笑恵館の真似ごとができるじゃないかということだ。

だったら自分でやってみよう、私のまちの自分の家で仲間づくりをやってみたい。

・・・と、思い立ったOMさんは、早速息子たちにこのことを話し、先日の笑恵館運営会議でこの話を切り出した。

もちろん一同ぶったまげたことは、言うまでもない。

でも、参加者の皆さんからは「すごい!」、「うらやましい!」、そして「手伝いたい!」「見習いたい!」と続々と賛辞が飛び出した。

笑恵館で暮らしたことが、チャレンジする気持ちを育てるなんて、一同拍手喝采で盛り上がった。

僕もたまらず「IMさんの堺の家を、笑恵館堺支店と認定します!」と叫んでしまった。

そして何より驚いたのは、笑恵館オーナーのTさんが「私はそうじゃないかと思ってました」と言ったこと。

「私だって、このまちが好きで笑恵館を作たんだから、OMさんだって自分のまちで最期まで生きるべき」という言葉に、一同深く頷いた。

という訳で、僕はこれから83歳のお母さんのをサポートする。

早速引っ越ししたいのだが、これから3月は引っ越し業者の繁忙期だ。

そこで、最近トラックを買ったとFBに投稿していたIさんに相談したら、「僕の地元は堺なので、帰省のついでに引き受けますよ」と返事が返ってきた。

こんな風に、ご縁が連鎖するのはいい兆し。

だから、関西方面からのお誘いを待ってます。

何が起きるか分からないところが、最高に