僕は、教育関係の仕事をしたことは無いけれど、世田谷ものづくり学校という廃校活用プロジェクトに関わった経験から、学校関連のプロジェクトにご縁があるようだ。
世田谷ものづくり学校は、統廃合で使われなくなった公立中学校の校舎をIDEEという会社が賃貸し、自社の家具製作や販売だけでなく、交友関係を持つクリエイターを中心にものづくりに関わる企業や個人を入居させ、一部を創業支援や地域の交流スペースとして活用するプロジェクトだった。
そして、すべての入居者にオフィスの開放や事業内容の展示公開だけでなく、定期的なワークショップの開催を義務付ける「ビジネスによる学校ごっこ」を実施した。
だが、2004年10月の開校から間もなくIDEEの経営体制が大きく変わってしまったので、このプロジェクトの独立・法人化を引き受けたのが僕だった。
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学校とは名ばかりで、実際には開放型の賃貸ビルだが、そこの運営責任の所在を明確にするために、僕はあえて「校長」と名乗ることにした。
実はこの施設の開業に際しては、猛烈な近隣からの反対運動があり、その背景には2001年の「池田小学校事件」が大きく関係していた。
いじめなどで病める若者と、社会的に無防備な学校の双方に対して過敏に反応する社会情勢の中で、IDEEという若者中心の企業を、廃校と隣接する小学校や保育園の父兄たちが受け入れられるはずがなかった。
だが、子どもたちがやがて若者となっていくことを忘れ、若者を排除する地域社会は、存続するはずがないと訴え続けたIDEEの黒崎前社長の熱意が、次第に地域を軟化させていった。
結局僕の役割は、黒崎さんの思いを引き継ぎ、それを発展させることだった。
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着任早々、近隣住民の皆さんに施設の現状報告をする会が開催され、僕が「校長」として紹介された。
周囲のスタッフたちは、参加者たちからの一斉攻撃にさらされるであろう僕の身を案じ、抗弁や言い訳をたくさん用意してくれたのだが、その心配は全くの杞憂に終わり、僕は温かく迎えられた。
それは、「あんたが責任者か、これからは何があってもあんたに言えばいいんだね!」という町会長の言葉に象徴される。
永続を目指す地域社会だからこそ、未来への安心や信頼こそが一番大切なのだと僕は悟った。
その後は、ますますトラブルや苦情が多発し、しばらく僕はお詫びと反省に追われる日々を送ったが、やがて小学校からは行事への招待状が届くようになり、卒業式では来賓席で号泣してしまった。
また一方で、大家である世田谷区は地域社会への対処に関する僕のよろず相談相手となってくれた。
そして、周辺の小学校や中学校、消防や警察、そして、町会や商店街など、地域社会の仕組みと役割分担が、その一員となることで見えてきた。
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前置きがだらだらと長くなってしまったが、僕が言いたいことは、学校は単なる教育機関でなく地域社会の必須機能だということ。
その証を幾つか説明したい。
まず、明治維新で行われた明治の大合併で、7万以上あった全国の町や村が約1万程度に統合されたのは、小学校区として300世帯を確保するためだったという。
終戦後には中学校までが義務教育となり、更なる町村合併が行われたことからも、地域社会は学校を成立させるためと言っても過言では無いと思う。
そして僕は先日友人のK君のススメで「教育基本法」を読んでみた。
平成18年に大改正された現在の「教育基本法」には、「平和で民主的な国家及び社会の形成者」としての国民を育てるために、次の5つの目標を掲げている。
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教育基本法 第2条
- 一 ①幅広い知識と教養を身に付け、②真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
- 二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
- 三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
- 四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
- 五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
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あなたはこれを読んでどう思う?
学校は勉強するだけの場所ではなく、むしろ世界や社会で現在起きている様々な問題に対し、立ち向かう心と頭とからだを育てる場所だ。
だが、今学校は、こうした諸問題がむしろ深刻化する世界の縮図になりつつある。
僕の目には、教育と子育てを請け負わせるために、社会から隔離されているようにすら見える。
だが、学校は子供の収容所ではなく、地域社会の核であり未来を育てる場だ。
子どもの人数が減ったくらいで廃校にしている場合じゃない。
むしろ、空きスペースができて、地域住民が参加できるようになったことを喜ぶべきだと思う。
だから、廃校の話があったら、僕を必ず呼んで欲しい!