諦めの連鎖を止めろ

ちょっと身の上話ですが、お許しを。先週は、ショッキングな出来事から始まった。今の僕の原点ともいえるS社が、親会社に吸収され消滅するという。それはまさに寝耳に水。というのも、そもそもS社が属する企業グループは、一人のカリスマオーナーが率いていて、企業の救済・育成により拡大してきた。僕にとってそのオーナーは、父から引き継いだ建設会社が破たんした時、見えない道を照らしてくれた大恩人だ。事業にはつきものだが、それを乗り越えることで不死身の体質を会得する・・・という信念の持ち主で、経営に対する厳しい姿勢を僕も身体で知ることができた。その後、持ち株会社を新たに組成するという当時まだ珍しい手法を選んだオーナーの指示で、これらの会社の統廃合を進め現在のカタチを描いた張本人は僕自身だ。だからこそ、僕が作ったS社までもが吸収され消滅するなど、思いもよらなかった。

 

グループの基本戦略は、住まいに関するあらゆるビジネスを「建設・不動産・生活」の3分野に分け、それぞれを担うな企業の参加を受入れていくことだった。これから収縮していく建設不動産ビジネスにおいて、存続に苦しむ優秀な担い手の拠り所となることで、最後まで生き残る企業を目指すという発想だ。僕はこの「最後まで生き残る」という考え方に強く共感し、オーナーの夢の実現に協力した。僕が、夢や目的をどう描くかにこだわるのは、このオーナーからの影響がかなり強い。その後、上場を目指し外部から招いた経営責任者が更なる統合を進めようとしたとき、これに真っ向から反対したのはオーナー自身だった。僕はこの時、このオーナーに自分が産み落としたS社を託したことを、正しい選択だったと確信したのを忘れない。

 

ところが先週、S社のM社長から、吸収合併の報告が飛び込んできた。それは「3つの分野で1社ずつ、全部で3社に統合する」ということだ。恐れていたことが起きてしまった。ついにオーナーは、自らのビジョンを継承する者を育てられず、「規模に依存する経営」にシフトしてしまったと、僕は思った。そして、久しぶりにオーナーから飯でも食おうと誘いが来た。もちろん話題はこの件で、持ち株会社とS社の両社長を交えて、「ここは大きな団結の道を選んで欲しい」という訳だ。「ふざけるな!」と僕はオーナーを睨め付けた。だがそこに見えるのは、まさに「諦め」だ。いくら不死身のオーナーでも、80歳を過ぎた今、さすがに残り時間を計るようになったらしい。「S社の独自性を殺さぬよう考えてはみるが、どのような結果になっても引き続き協力して欲しい」と、これまでの力強さとは程遠い、寂しい言葉でその席は終わった。

 

僕はよく、「なぜS社を自分で経営しないのか」と尋ねられる。今回の件でも、それならあなたが持ち株会社の経営を引き受ければいいではないかと思われるかもしれない。だが僕はそう思わない。それが解決策だとはどうしても僕には思えない。僕はS社設立の当初からM氏を社長に立てて、自分は黒子に徹していた。もちろん当初は誰もが「松村さんの会社」と思っていただろう。だが年を経て、確実にM氏は名実ともに社長となっていった。後継者を育てるとはこういうことだと僕は思う。僕はある意味、42歳で隠居してM氏に家督を継承した。僕は、リーダーシップとは誰か一人が導いていくのでなく、メンバーもまたリーダーを支えることだと思う。だからリーダーには、組織の中心=中間人物がふさわしい。能力的にも、経験的にもリーダーより優れたスタッフもいた方がリーダーは伸び伸びと活躍できると思う。リーダーが一番高齢で一番優秀な組織の未来は厳しい。だから僕は、頼まれても会社に復帰する気はない。

 

だからと言って、父から引き継いだ僕がせっかく次世代に繋いだものを、むざむざ途絶えさせるわけにはいかない。そこで僕は、M社長に「戦うこと」を提案した。S社にはすでにM社長が手塩にかけて育てた後継者I君がいて、今回S社の存続についてもI君が引き継ぐことをオーナーに宣言したばかりだった。そして、オーナーもI君の成長を喜び、会社を消滅させるのに後継者を承認するという自己矛盾をきたしている。そこでI君を中心に「新S社」の立ち上げを内外に宣言して、オーナーの心変わりを促す必要がある。だがその前に、今回の吸収合併に合流せず、「新S社」の設立に参加する者が何人いるのかを確認しなければならない。その人数によって、この戦いの戦略が決まってくる。もしI君を含め、誰も手を上げないようだったらそれまでのこと。S社には存続の価値がないとあきらめなければならないだろう。

 

「そうなったらどうしますか?」という問いにも、僕は答えなければならない。誰に対しても、僕は笑って「その時は、遠慮なく僕がゼロからスタートしますよ」と答えるつもりだ。でも、考えてみれば僕はすでにそうしているのかもしれない。僕が目指す「建設・開発を前提としない、の有効活用」が、様々な意味で区切りを迎える建設を含む既存ビジネスの変革に寄与することを確信している。もし僕が、これから建設会社を始めるのならどんな会社にしたいのか、そんなことを真剣に考えることになるかも知れない。いずれにせよ、僕が一番恐れるのは「諦めの心」だ。会社存続のために当初目的の実現を、たとえ一時的であっても諦めることは恐ろしい。なぜなら、一つの諦めはさらなる「諦めの連鎖」を生む。

 

先週の出来事は、失敗や敗北よりも、諦めの方が恐ろしいことを、あらためて僕に思い起こさせてくれた。