持続と継続

僕は、世界の「永続性」に取り組んでいるつもりだが、「それは持続可能性のことですか?」と尋ねられた。

確かにそうかもしれないと思い、早速ググってみると、「持続可能性 (じぞくかのうせい、 英: sustainability )とは、一般的には、システムやプロセスが持続できることをいうが、環境学的には、生物的なシステムがその多様性と生産性を期限なく継続できる能力のことを指し、さらに、組織原理としては、持続可能な発展を意味する。」とあった。

だが、最後の「組織原理としては、持続可能な発展」がどうも気になる。

「組織」とは当然人間の集合体のことであり、「発展」を企業や社会の根本構造に関わる「原理」と捉えているからだ。

そこで今度は、外務省のサイトを調べてみると、「持続可能な開発」という言葉が見つかった。

「持続可能な開発」とは、「環境と開発に関する世界委員会」(委員長:ブルントラント・ノルウェー首相(当時))が1987年に公表した報告書「Our Common Future」の中心的な考え方として取り上げた概念で,

「将来の世代の欲求を満たしつつ,現在の世代の欲求も満足させるような開発」

のことを言う。この概念は,環境と開発を互いに反するものではなく共存し得るものとしてとらえ,環境保全を考慮した節度ある開発が重要であるという考えに立つものである。

とされている。

そしてその後、地球環境問題について開催された主要な国際会議を振り返ると

(1)「国連環境開発会議」(「地球サミット」)(1992年)・・・「アジェンダ21」採択

(2)「国連環境開発特別総会」(1997年)・・・「アジェンダ21の一層の実施のための計画」採択

(3)「持続可能な開発に関する世界首脳会議」(「ヨハネスブルグ・サミット」)(2002年)

(4)国連持続可能な開発会議(「リオ+20」)(2012年)

と、確かに「開発」に関する議論が繰り返されてきたことが分かる。

初めにも述べたとおり、僕が目指しているのは「永続する世界」であり、それは「持続可能な世界」と同じ意味なのかという問いに答えたい。

そこで今度は、今話題のSDGsに関するサイトを調べたら、すぐに「持続可能な世界の実現を目指す」とあるのを見つけたので、早速その定義を調べると・・・

持続可能とは、何かをし続けられる、ということです。

SDGsは、私たちみんなが、ひとつしかないこの地球で暮らし続けられる「持続可能な世界」を実現するために進むべき道を示した、つまり、ナビのようなものです。
https://www.unicef.or.jp/kodomo/sdgs/about/

・・・とされている。

そもそもSDGs:Sustainable Development Goalsとは「持続可能な開発目標」のこと。

世界はまさに、成長し発展するために開発をやめる気はさらさらない。

色々調べて見たものの、僕は当たり前の議論の上を、ただすべっていただけかもしれない。

だが待てよ、僕がこだわっているのは、まさにこのことだ。

「将来の世代の欲求を満たしつつ,現在の世代の欲求も満足させる」とは、「現在欲求を満たしている人」が都合の良い過去を参照しているにすぎないこと。

SDGsの達成という成功を目指すことに対し、僕はその失敗に立ち向かいたいと思っている。

「持続可能性」とは「持続できる能力」のことだが、「永続性」とは「永く持続すること」を意味するのだろうか。

そもそも「持続」とは、「保ち続けること」であり、それを「永く」することにはあまり意味が無い。

むしろ「永続性」は、「物事が継続する性質やその度合い」のことで、「継続」が永いことを指している。

ようやく「持続」と「継続」の話に辿り着いたようだ。

「持続」は今やっていることを続けること、「継続」は前からやっていたことが続くことを意味する言葉だ。

持続可能性への取組とは、これまで「持続不可能な成功や繁栄」を目指してきた人々が、「持続可能」の必要性に気付いただけのこと。

むしろ、従来から継続してきた「成功や繁栄」に着目することこそが大切だと僕は考える。

「持続可能性」とは、今やっていることを長続きさせる能力だが、僕の目指す「永続性」とは、昔から長続きしていることから学ぶ力だと思う。

世界が一致団結して持続可能な発展を目指すSDGsだけでなく、誰もが世界から永続性を学び、多様な幸福を目指す小さな国を、僕はたくさん作りたい。

世界を一部の人が夢見る理想郷にするのでなく、全てのメンバーが守りたいと願う多様な地域社会で、世界を埋め尽くしたいと願っている。