多様の国インド 20160115

の国インド

インド旅行の印象を誰からも尋ねられるので、何か一言で表せないものかと考えるのだが、それは本当に難しい。なので、「一言で表せない=多様性」と答えるようになった。そもそも、旅行といっても全5日間、正味3日間で何がわかるはずもない。もしも国内を3日間旅行して「日本はどんな国?」と問われて答えられるだろうか。それでも「多様」と感じるのは、むしろインドが「明快な特質」を持った国と言えるのかもしれない。インドが多様な国であることは、誰もが認める当たり前の印象だということ自体、むしろとても分かりやすい国なのかもしれない。

一番はっきりわかることは、それが目に見えること。インドでは、金持ちと貧乏、身分の高低を見分けることはたやすいことだ。これは日本と比べると、むしろ対局とも思える。近年日本で「貧困」が問題視されるようになったのは、一見同じに見える人々の中に、貧困が存在する意外性ではないだろうか。貧困などの困りごとを隠ぺいする社会というか、困りごとを知られたがらない社会というか、「無縁社会」の対極にある「丸見え社会」と言い換えてもいいかも知れない。インドの格差や差別は確かに深刻な問題だが、問題が顕在化していることがいじめや自殺を誘発しない社会を作っているとも言える。

 

貧富の多様

見ればわかるほど貧富の差が歴然としていると、貧富の話がしやすい。貧富の話題がタブーでない社会とでも言おうか。ちょっと待ちに佇んでいるだけで、目に入ってくるのは高級車に乗る金持ち、PCを叩くビジネスマン、忙しく働く庶民、かなり貧しい物売り、そして完全な乞食と、5種類の階層に分けられる。恐らくこれらの人たちの所得はすべてが10倍以上の格差があるだろう。これらをひとくくりにして「平均」を論じることは、まったく虚しい。13億と言われるインドの人口からして、それぞれの人数は通常国家の人口並みだと思う。僕たちが「平均」を必要とするのは、課題や答えを一つにまとめるためだ。この国で、一つの策で課題に挑むのは、何とも図々しい気がするし、むしろ貧富の格差を肯定したくなる自分を感じる。

おそらく僕は、さっきの分類で言えば上から2番目に属するだろう。それが道を歩けば最下層の乞食に頻繁に遭遇する。やせ細った子供を抱えた母親が僕の腕を掴んで「この子の為に少しでいいからお金をくれ」とせがむのを断るのはつらいことだ。彼女の提案は、決して不合理ではない。100円も差し出せば、相当な食料にありつけるはずだ。だがそのお金を出す気になれないのは、何ら問題の解決にならないからだ。その乞食に100円渡しても、周囲を見渡せば、あと5人くらいの乞食がいる。ひとりに渡せば5人が寄ってくるだろうし、その5人に施せば、さらに大騒ぎになるだろう。ところが、明らかに僕より貧しそうな若者が、僕を差し置いて彼女にコインを渡した。それを見て僕は妙に納得した。それは、僕は自分の直上直下の人と付き合えばいいのではないか、いきなり乞食に施すのではなく、直下の人から買い物をして、そのおこぼれがさらに下層に渡って行くのでは…と。僕は気を取り直し、ガイドに連れられ土産物屋に向かった。

 

宗教の多様

インドはその名の通り「ヒンドゥ教」の国だ。国民の80%がその信者と言われている。仏教もインドで生まれた宗教だが、ここで根差すことなく世界に広まった。その後、13世紀ごろからイスラムの侵略が始まり、デリーを中心とした王朝が栄え、インド全土にイスラム文化が広まることになる。今回の旅行は、タージマハールを始め、まさにそれらの王朝がヒンドゥと融合する様を見る旅だった。その後イギリスの植民地時代を経てガンジーが独立を果たす。そして、こうした歴史や、その他の宗教がれっきとして存在し主張しているのに驚く。

貧富の格差の根源と言われるカーストや牛を敬うのはヒンドゥの制度だが、社会制度や都市の構造は一見イスラム世界のようだ。お馴染みの長髪と髭を称えてターバンを巻くのはスィク教の人だし、白装束をまとうのはジャイナ教の人たちだ。ヒンドゥ教は東の空の太陽を信仰し、イスラム教は西のメッカを向いて礼拝する。世界遺産のクイトゥブミーナールの尖塔は、1階が南を向いているのに、2階以上はイスラム支配を受けて西向きになっている。

世界では様々な対立が問題を引き起こしているが、中でも宗教の違いはたちが悪い。それは、宗教の違いは目指すモノの違いだからだと思う。現に、インドは独立時にイスラム教徒の多いパキスタンと仏教徒の多いスリランカと分裂した。でもインドの街を歩いていると、これらの違いがインドの景色となっている。違いが際立つのは仕方の無いことだが、現地ではそれをはるかに凌ぐ共通点が、人々をつないでいると感じることができた。

 

身分の多様

貧富の差や、宗教の違いが多様な社会は、ある意味でわが日本の対極だ。もちろん日本は、貧富や宗教の違いが無いのではなく、見えにくい社会だと思う。この違いを生んでいるのが、身分という概念だ。身分とは、人間を格付けし、その違いを制度化することで、それは上位に行くほど少人数となるピラミッド構造をしている。単純なピラミッドだと、階の人たちが不満を持つので、さらに下位の逆ピラミッドを作ることもある。これは地域社会だけでなく、会社組織や、友達関係のコミュニティでも作られることがあり、格差を超えるための資格や許可が与えられたり、いじめやハラスメントにより格差を固定化しようとするのだと思う。

身分の違いがあまりにもはっきり見えるインドを歩くうちに、日本は見えにくいのではなく、見えないように、見ないようにしているのではないかと思うようになった。それは、当然そこに存在する優越感や罪悪感を快く思わないからだろう。では、インドの人たちは劣等感や優越感を恥じる気持ちは無いのだろうか。本当のことは判らないが、僕はインドの人たちだって同じだと考えたい。さもないと、新しい何かは見えてこないから。こうして僕が感じたことは、そもそも生まれも育ちも違うのだから、隠すことなどできないし、違うことが当然だという「良い意味での諦め」だ。そう思うと、少し見え方が変わってきた。貧しくてボロ着を着た聖人のような賢そうな人と、太って見にくい愚かそうな金持ちと、どちらがいいか。このあたりが「インドは考えさせられる国」とい言われる所以なのかもしれない。

 

多様の多様

5回にわたってインドのことを総括した。はじめにも言ったとおり、「多様で複雑な国」という一言で説明すること自体が総括だ。そして、その多様性そのものが貧富、宗教、身分の多様性を生み出していること、つまり「多様な多様性」とでもいうべき世界であることを説明した。だから、実際のインドは、さらに多様で複雑だ。インドは独立後、ヒンドゥ後に言語統一することができず、ルピーのお札にはガンジーの顔に並んで14の言語が表記されている。結局自国語での統一が果たせなかったために、英語が全国で使われる国となった。余談だが、東西に分かれて変則的に独立したパキスタンは、結局西のパキスタンと東のバングラデシュに分離した。バングラデシュとは「ベンガル人の国」という意味で、宗教ではなくベンガル語という言語圏として独立し、その記念日はユネスコにより「世界母語デー」とされた。

僕は、多様性が引き起こす分離独立のエネルギーこそ、地域社会の原動力だと思っている。それは夕張市が財政した際、現地で夕張の歴史を振り返り、破綻の対極となる絶頂期を探し当てた時の経験からだ。何と夕張市は、東西の炭鉱を中心にして分離独立運動が起き、住民投票で可決されたが、市議会がこれを一票差で否決したことがあったのだ。分離独立こそが、地域の力の最盛期なら、その逆の吸収合併こそが実質的滅亡に違いない。一見画一的な日本であっても、社会は誕生(分裂)と滅亡(合併)を繰り返しており、その基となるのが「双方の違い=多様性」だと思う。だからこそ、この「多様性が多様」なことは、社会のエネルギーを生み出すポテンシャルの高さであるはずだ。くれぐれも言いたいことは、日本は格差が無いのではなく、それを装っているにすぎないということだ。