当選者と付き合うまち

昨日友人のSさんから、「ビジーネスリーグに夢中になって、松村さん”空き家問題”はどうなってるの?」と言われた。

うん、大事な話だよな・・・と思うので、書いておこう。

まず、世間の状況は、2月にできた新法「空家等対策の推進に関する特別措置法(以下空き家法と略します)」を受け、全国の自治体レベルの条例整備と体制作りが進んでいる。

5月を目途に法整備の予定だったようだが、何処の自治体も少してこずって、夏ころまでかかっているようだ。

僕の地元世田谷区では、先日の区ニュースで、空き家に加えゴミ屋敷に対する条例も作られ、パブリックコメントを求めていた。

総括すると「まだ準備中で、年内には動き出すかも」という状況だ。

ちなみに、これまで空き家対策を進めてきた住宅課や定住促進課などは、新しい法律による業務は担当せず、新たな部署が担当するようだ。

法律の趣旨が微妙に違うと、それだけで担当部署が変わり、その背景となる他の施策との関係から、次第に当初の目的から外れていく恐れを感じる。

そんなお役所の事情に言及するのは、実はこれが重大な問題だからだ。

2月に公益申請を出しながら、4月に取り下げてしまった経緯を以前お話ししたが、その要因の一つにこの新法の成立があった。

この問題に対し行政がどのように動くのか、それを見ながら自分の役割を決めないと、せっかくの「公益」がちぐはぐになる恐れを感じたからだ。

そして、案の定というか、やはり危惧していた通りになりつつある。

もともと今回の施策は、空き家問題の解消策であって、解決策ではないことは明白だ。

法律の趣旨を最大限前向きに読めば、行政と民間が協力し互いの役割を果たそうという内容だが、行政は着々と自分たちの役割だけを明確にし、それに対する市民の意見を求めているに過ぎない。

僕自身今回珍しく法令自体を読み込んだからこそ思うのだが、条例案に対する住民意見を聞く前に、そもそも法令の勉強会を官民合同で行い、どんな条例を作るかの議論をする必要があると思う。

恐らくその役割は議会が担っているのだろうが、それでは事前に議員の人たちから市民への問いかけや相談があったかといえば、そんな話は聞いたことがない。

考えてみれば、安保法案も原発も同じ構造だ。

僕ら市民は、国会での安倍総理の態度に腹を立てる以前に、地元議員と議論をしなければいけないはず。

そもそも議員が僕らの意見を代弁してくれなければ、話にならない。

今回空き家法の取り扱いで、僕はこのことに気づいた。

空き家法によると、「空き家等」とは民間が所有・管理する土地建物で、その放置が常態化しているもののこと。

つまり、市民の所有物に関する法律だ。

これまで空き家は私有財産だったので、行政は手をこまねいていたが、そこに手を出せるようにしたのがこの法律だ。

でも、その趣旨はあくまで市民生活の安全衛生と活力の確保のため。

悪質な空き家は取り締まるが、それ以外の空き家は、民間がもっと活用できるような社会を作ろうというものだ。

市民の所有物は市民が何とかするのは当然のこと。

、そんな議論を持ちかけてくるどころか、こちらから提案しても地域の議員さんは知らん顔。

「議員」って、いったい何のためにいるのか…と、改めて考えてしまった。

以前板橋区から、廃校活用の相談を受けた時、廃校を議員宿舎にして教室を議員に提供し、そこではいつでもその議員の提案や政策を展示してあって、誰でも意見を述べたり質問できるようにしたらどうだろうと提言したのを思い出した。

区役所の現場ではこの話はバカ受けしたが、もちろんそこでお終いだ。

でも、昨今の国会を見ていると、本当に議会は機能していない。

これで選挙に行けという方が酷な話だ。

自分の意思を持たない人たちがたくさん当選し、それを代表するおかしな人が総理大臣になると、国民がどんなに嫌だと言っても変な法律が次々と出来上がっていくだろう。

この原因はどこにあるのかといえば、僕ら市民が自分で選んだ議員と話をしていないことではないだろうか。

たとえ自分が投票した候補者が落選しようとも、選挙で選ばれた家に意見を伝え、その報告をみんなが聞くということをせずにいることは、選挙に行かないことよりももっと悪いことなのではないだろうか。

空き家の話をするつもりが、途中から市民と議員の話になっちゃったけど、せっかくなのでそのまま脱線したいと思う。

今回の空き家法で「空き家は不動産の空き室とは違う」ことを忘れてはいけない。

この法律を、不動産業の空き室対策に流用してはいけない。

そうではなく、不動産という「あり余った資産」を「空き家という未利用資源」と捉えなおし、新しい社会のインフラにしたいと思うのだが、そのためには「新しい社会のイメージ」を持つ必要がある。

これまでは「孤立の進んだ社会から、他人同士が緩やかにつながるコミュニティ」を標榜し、民間所有の住宅を地域コミュニティに開いた「みんなの家」を作ってきたが、今日は「新しい政治」の尻尾をちょっとつかんだような気がする。

政治を身近にしなければ、バカ政府は誰がやってもどこに行くのかわからない。

一方で「政治活動はご法度」であること自体おかしな話だ。

政党なんかどうでもいいし、支持者かどうかもどうでもいい。

とにかく議会で発言する代表者とは、大いに議論する場を持つ社会を作ること。

これをのテーマに加えたい。