ヤンキーとダブルケア

結論から言いたくて、こんなひどいタイトルになってしまった。

【ヤンキーとダブルケア】なんのこっちゃと思われるに違いないが、これは出産年齢に関する話。

「出産年齢の高低の是非」など、簡単に論じるつもりはない。

しかし、出産年齢の高齢化がもたらす弊害は、深刻な現実問題として受け止める必要を感じる。【ヤンキー】とは、低年齢で出産する人たちを指す言葉だ。

異論もあるとは思うが、「ヤンママ」は絶対に若い。

なので、ここでは「低年齢出産をする人たち」という勝手な定義にお付き合い願いたい。

一方の【ダブルケア】とは、子育てと高齢者介護の双方を抱え込むこと。

初産の平均年齢が30歳を超えたということは、半数以上の人が30歳から子供を生み始め40歳前後に生み終えると考えてよい。

これに対し、親の介護が始まる年代を重ね合わせると、恐ろしい現実が見えてくる。

核家族化と共働きが加われば、僕にだってその深刻さは想像できる。

一昨年、新潟の阿賀野市に住む若者に招かれて、「阿賀野バクハツプロジェクト」というイベントで講演を行ったが、その時のテーマが「いよいよ始まる ヤンキーが日本を救う時代」だった。

高校生時代からできちゃった婚をスタートし、20歳までに2児を出産する家族が世代を重ねると、たとえ人口が増加しなくても少子高齢化は解消する。

20歳の親が赤ん坊の世話をし、両親は40歳、祖父母は60才、80才の曾祖父母の面倒をみんなで手分けしてみるという構図だ。

この標準世帯は10人家族で、就労年代率は60%、平均年齢40歳となる。

子どもの人数は2人という想定なので、人口は増加しない。

魔法のような話だが、単純な算数でわかる現実論だ。

今のうち言っておきたいが、「その方がいい」とか、「そうなるべきだ」とは断じて思わない。

「そうなってしまうだろう」と僕は言ってるだけのこと。

なぜなら今の現実がそうだから。

つまり、ダブルケアが急増するこの現実は、望んだわけでも正しいわけでもなく、単なる現実だということだ。

僕たちはいろいろ思うところはあるにせよ、現実から目を背けないようにしないと、何も理解できなくなる。

もしも実際に【ヤンキー族とダブルケア族】の両方の種族がいるとすれば、ダブルケア族は絶滅の恐れがあり、ヤンキー族は繁殖する可能性がある。

たとえどんな現実であろうと、なるべくしてなった結論にすぎないと僕は思う。

しかし、それではダーウィンの進化論と変わらない。

そんなのつまらない。

僕は人間を「進化論に逆らう唯一の生物」にしたい。

だからこそ、阿賀野の若者たちに真面目な顔をして語り掛けた。

みんなでヤンキー族になろう、阿賀野をヤンキーの聖地にして、みんなで急いで子供を生んで、就職する前にできれば学生時代に子育てを終わらせ、そのあとバリバリ働く、そんなをしよう。

みんなでジャージを着て、車は土禁にしよう。

そして、その文化をロシアに見せつけて、ロシアの若者をヤンキーにしよう。

てな調子で、暴走・爆発・炎上し、阿賀野の皆さんからは呆れられたことでしょう。

でも僕としては、超真面目なプレゼンだったし、何より楽しかった。

今僕は、日本の社会から目が離せない。

これでもかというくらい新たな問題や課題が噴き出て、まさに八方塞がり状態だ。

これを仕組んだ奴がいたならば、それは大したものだと僕は思う。

だが、残念ながらそうは思えない。この社会は、なるべくしてなった、慣れの果ての姿だと僕は思う。

だからこそ、ここからが見ものだ。この社会はどうなるのか、どこへ向かうのか。

何かの結果である現実は、また同時に何かの原因となって次の現実が僕らを待っている。

【ヤンキーとダブルケア】この正反対な現象、正反対な人々が次に何をもたらすのか。

それを考え、その先を妄想し、小さくても一石を投じること。そんなやり方で、僕は世界を遊びたい。