九州旅行のレポートです 20150822

今週は九州旅行のレポートです。

(火)

前日連れ帰った母を積んで、昼前の便に乗るべく車で羽田に向かいました。お盆明けということで舐めてかかっていたら、空港はもちろん、周辺の民間駐車場はすべて満車状態。これはやばいということになり、思いつきで国際線ターミナルに向かったところ、何とか駐車場に空きがあり、ほんとに冷や汗モノでした。福岡空港には弟夫婦が出迎えてくれて、地下鉄で博多駅前のホテルにチェックイン。空港から都心まで2駅ですから、東京で言えば新橋に空港がある感じ。弟情報によれば、底地権はほぼ一人が所有しているそうで、すごい地代なんでしょうね。食事をしてからまた地下鉄に乗り、天神で西鉄に乗り換えて大宰府へ。西鉄って大手私鉄では唯一トンネルのない電車だとか。ソーダ水色の車両が、テッチャンの僕にはグッときました。

昔海に面していたはずの大宰府は今ではずいぶん内陸に位置していますが、道真公の天満宮は1000年の歴史を刻む木々に囲まれ、亀戸天神とは比較にならない立派な佇まいでした。ただし、4時半になるとすべてのお店が店じまい。たどり着いた観光バスから降り立った外国人観光客は、ちょっとお気の毒でした。天満宮の奥の山上には、巨大な九州国立美術館がそびえ立っていて、この地が世界に向けての玄関として機能してきた歴史を考えればふさわしいのかも知れませんが、何とも場違いな感じでした。

夜は、西新の弟宅近くの居酒屋で会食。郊外の住宅地と下町の風情が同居したこの町は、博多から地下鉄で9駅目。コンパクトな町だから住みやすいのだと実感しました。

(水)

2日目は、博多タワーから市内と海を一望した後、カミさんの生まれた八幡東に向かいました。ケーブルカーで登った皿倉山山頂からの眺めは、絶景・おすすめです。ただ、見える景色は鉄のまちの名残そして廃墟。僕が子供のころ教科書に乗っていた「東洋一の若戸大橋」が、ひっそりと見えました。

故郷探検の後は、大分県へ。中津名物「鳥の唐揚げ」を食べようとしたんですが、どこのお店も夏休み。お盆の後は観光地の店が休むとは、悲しい発見でした。でも資料を集め探したところ、次の目的地「青の洞門」のさきの「川倍精肉店」が営業中と判り、山奥の肉屋で唐揚げランチを食べました。帰りに寄った青の洞門は、菊池寛の「恩讐の彼方へ」で一躍有名になった手掘りのトンネル。じゃらんの観光地ランキングで大分県1位のはず、現地の案内は不親切でちょっと残念でした。

この日の宿泊は別府温泉。明礬温泉の泥湯に入りたかったのに、土砂降りが降ってきて、残念だけど諦めました。その代わり、食後息子と二人で別府駅近くの竹瓦温泉へ。ここは明治13年の創設で、公衆浴場に何と砂湯がついているのだが、残念ながら「第3水曜日定休」ということで、100円の風呂で我慢して帰りました。

(木)

3日目は、名物地獄めぐり。これはおそらく世界有数の温泉エンターテーメント。間欠泉をはじめ、各種の源泉に加え、和風、洋風、ワニやピラニア、ランやハスなど趣向を凝らした8カ所の源泉を巡る2100円のアトラクションです。僕が一番面白かったのは「かまど温泉」。案内役の「鬼おじさん」が、たばこを片手に温泉ガスの化学反応を見せるパフォーマンスがバカ受け。結局、観光の目玉は「ヒト」ですね。最後の坊主地獄で車に家族を載せようとしていたら、香港から来た家族の車がバックで激突。警察を読んでしばしの事故処理。神様、なんだか知らないけど、お許しを・・・とほほ。ま、気を取り直して、次の目的地湯布院へ。

別府が「温泉資源の大都会」なら、湯布院はのどかな田んぼの中の「温泉村が原宿化」した代表例。田んぼの中に池がありそれらをつなぐ農道には、今やカフェやブティックが立ち並び観光客と観光バスがひっきりなしに行きかっています。ひっそりとした秘湯・・・などと言うイメージは完全に裏切られるけど、「観光客」には大人気。この町みたいになりたいのか、なりたくないのか、寒村の活性化の踏み絵みたいな町でした。

続いて訪れたのが、活力を失った温泉街の旅館が互いの風呂を宿泊客に開放することで、活性化したことで知られる黒川温泉。「街全体が一つの宿 通りは廊下 旅館は客室」というキャッチコピーが口コミで広がったことが、今の時代を象徴しているのかも。

午後は、阿蘇の雄大な景色を堪能し、山頂行のロープウェイ乗り場に辿り着くと、危険度2で立ち入り禁止。昨年の7月からの措置だというから、お気の毒としか言えない。でも、雄大な火山と言い、マグマが温めた温泉といい、ちょっと危ない日本列島だからこそ、観光資源が豊富だとも言えるわけですね。

(金)

今日は最終日。朝は昨年完成した熊本城の本丸御殿へ行ってみました。中国の4台美女の一人「王昭君」の故事にちなんだ「しょうくんの間」が、実は徳川側についたものの、いつの日か豊臣秀頼を将軍(しょうぐん)として迎えるための部屋として作ったものだと言う、、、歴史的な語呂合わせに一同唸りました。

午後からは、世界遺産申請で話題の「隠れキリシタン文化」を一目見たいと思い、天草の南端を目指しました。こんな地の果てのようなところに、なぜ多くのキリシタンがいたのだろうと思っていましたが、ポルトガルから船で来た宣教師にしてみれば、むしろ上陸しやすい地点だったはず。地域の端とか真ん中とか、何を根拠に決めるのか、考えてみたいテーマだと思いました。

こんな感じで、今回もまたひたすら走り回る「行ってみるだけの旅」をやってしまいました。「もう少しのんびりしたら」とよく言われるんですが、その「もう少し」をやるくらいなら、1つでも多くを見たくてつい走ってしまいます。相手の身になるということは、どこでも行ってみることと通じるものがあります。「行ってみなければ判らないこと」をきちんと押さえないと、行かないでも判ることだらけで終わってしまいます。「旅」で一番大切なのは、行ってみることではないでしょうか。

(土)

今朝は、旅行ボケで寝坊し、旅行中も欠かさなかった朝歩きをさぼってしまいましたが、食事制限と朝歩きは旅先での体調管理に絶大な効き目があることが判りました。午前は自宅活用の相談でHさんのお宅訪問。自宅から山梨に通学中の息子さんと追盛り上がって長話になってしまいました。

午後からは、ちょっと疲れが出てきましたが、旅行で集めた資料整理と、この旅行記を書いています。次の旅行は次男と行く「インド5日間の旅」を企画しているんですが、そこに午前中お目にかかったHさんからbccでインド旅行のお誘いが。これは何かありそうですよ。