前とは何か、世界は今も進行形

先日、旧友の建築家A氏と会食した際「松村さあ、林業って戦後の産業だって知ってた?」という話が飛び出した。

確かに林業や農業に限らず、現代の僕たちが頭に描く多くの産業は、今から70年前の終戦後に生まれた。

山に植林した材木を木材として出荷するのに100年かかるとすれば、林業はまだその年数を経ていない。

「これを成功だ失敗だという議論はそもそもおかしいんじゃないか」とA氏は言う。

僕も全く同意見だで、[うまくいかないこと]と[失敗]は別物だ。

なぜなら、[こうならないようにすべきだったこと]が解決策とは思えないから。

むしろ[これから何を目指し何をなすべきか]を考えればよいだけのこと、しごく当たり前のことだと僕は思う。

そもそも成功や失敗というのは、結果に対する評価のことだが、そのほとんどは暫定評価にすぎない。

なぜなら、この世界はそう簡単には終わらないし、何事にもその後がある。

破たんとか失敗という言葉で思考が停止してしまうことこそが、一番恐ろしいと僕は思う。

ビジネス伝承フェアというイベントで、下北沢の茶師十段O氏から「お茶屋(茶の販売店)は戦後にできた商売」という話を聞いて驚いた。

僕はてっきり室町時代あたりからと思っていたが、そもそもペリーが黒船でやってきて、日本は外国との貿易を始めたが、売るものが無かったので政府は全国でお茶と桑(絹生産)を植えさせたとか。

しかし当時の日本には商品として販売できるお茶は宇治茶ぐらいしか見当たらず、それを全国で作らせた。

やがてイギリスのリプトンなどが植民地で大量生産を開始したため、日本の茶葉は売れなくなり、国内での販売に切り替えた。

それまで自家製のお茶を飲んでいた日本も宅地化が進んでお茶を買うようになり、国内でのお茶販売が始まったとのこと。

当時のソフトドリンクは、お茶の一人勝ちだったが、その後コーヒー、ジュース、そして水までもが販売されるようになり、お茶ビジネスは縮小の一途をたどっている。

でもOさんは「お茶屋という商売はもうじき消滅するでしょう、でも世界のお茶の需要は増え続けますから、我々も事業形態を変えていくだけのこと」ときっぱり語る。

ここで僕が言いたいことは、現状を基準にしたり、正しいものと考え判断することのはかなさだ。

ここ数十年に起きたことはむしろ過渡期の最中で、世界は今も進行形だということを忘れてはならない。

いまや絶滅が危惧されているクロマグロだって、トロの脂身がすぐに腐って臭かったから戦前までは「ねこまたぎ」と言われたそうだ。

マグロが高級魚になったのは、冷蔵庫が普及したおかげだ。

緑茶の茶葉の色は元来茶色だったが、これも冷蔵庫のおかげで緑色になったとか。

こうしてテクノロジーは確実に世界を変えてきた。

今僕たちはさらに高度な技術を持ちながら、これを世界の課題解決に向けていると言えるだろうか。

世界を変えるために世界に対峙しているだろうか。

残念ながら、ビジネスの多くは今日を生きるため、去年より売上を増やすために奔走している。

「新幹線が10分早くなった」という話を、喜ぶ気には到底なれない。

僕たちは、前を見よう。

どんな業界でも、どんな分野でも、どうなる事が進歩なのかを考えて、前進するしかないと思う。

進んだ道が間違いだと感じたら、分岐点まで立ち戻り、そこから前進し直せばいい。

そしてそれをやり続けることが必要だ。

[成長(大きくなること)=前進]だと思っていたが、継続できないのであれば考え直す必要がある。

もしかすると、前進とは歩き続けること、歩き続けることのできる方向のことを[前]と呼ぶのかもしれない。