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■HISTORY
未来は、実現するためにあります。
だからこそ、未来はこの夕張で描かなければなりません。

しかし、夕張というキャンバスは白ではありません。
私たちは、決して新たにスタートするのではなく、
既に長い道のりを歩いてきました。
そこで、現在の夕張という絵を改めてなぞってみました。

1.その昔、夕張はくまときつねの楽園でした。

2.炭鉱が発見され、夕張の歴史が始まりました。
1847年
 
 
1892年
1897年
本道炭鉱地質調査の委託をうけた、開拓使雇米人鉱山地質学者ベンジャミン・スミス・ライマン氏の探検隊の一行は、夕張川をさかのぼり、地質調査の結果、上流に炭層のあることを推定、発表する。
夕張炭山採炭開始
由仁村戸町役場より分離、登川村戸町役場として独立する。

3.また、急速な人口増加とともに火災も多発しはじめました。1902年~
1902年
1906年
1910年
1914年
1922年
1927年
1928年
1929年
1934年
1949年
夕張市街第3区 435戸
夕張市街第5区 515戸
丁末1、2区 115戸
市街地4区 157戸
本町4,5丁目 339戸
高松1区 119戸
高松1区 165戸
本町2丁目 235戸
旭町 194戸
本町繁華街 335戸

4.続々と炭鉱が開かれました。1903年~
1903年
1906年
1906年
1909年
1926年
1963年
1966年
1966年
1970年
1970年
新夕張鉱採炭を始める。
若鍋坑開坑。
京都合資会社、南大夕張に福山炭坑を開坑。
登川炭坑開坑
三菱鉱業所、北部大夕張の開坑に着手。
新夕張炭鉱発足。
三菱鉱業、南大夕張鉱が新鉱開削に着手。
三菱鉱業、南大夕張鉱が新鉱開削に着手。
三菱南大夕張炭鉱操業開始。
北炭夕張新鉱開発着工。

5.しかし、開発当初は事故もたくさんおきました。1905年~
1905年
1912年
1912年
1914年
1920年
1938年
夕張第2斜坑 36名
夕張第2斜坑 299名
夕張第1坑 53名
若鍋第2斜坑 423名
夕張鉱北上坑 209名
夕張天竜坑 161名

6.街の整備も進められ、夕張は戦争中に市になりました。発展した鹿島地区は独立しようとさえした。
1918年
1943年
1944年
1945年
1947年
1953年
登川村を夕張町と改める。
市制施行。
夕張市農業会開設。
夕張保健所開設。
夕張簡易裁判所と夕張区検察庁開庁。
鹿島、南部地区分町問題に関する市議会の最終審議行われる。賛成12、反対13、棄権6で否決される。

7.発展の止まった炭鉱に無理が生じてきました。1960年~
1959年
 
 
1960年
1965年
1968年
1981年
1985年
石炭鉱業政策「新合理化長期計画」策定。
 
【炭鉱内のガス事故、火災事故と死者数】
夕張第2鉱坑 42名
夕張第1坑 62名
北炭平和鉱坑 31名
北炭夕張新炭鉱 93名
三菱南大夕張炭鉱 62名

8.炭鉱は閉山していきました。 1963年~
1963年
1966年
 
1967年
1967年
1970年
1970年
1972年
1973年
1975年
1977年
1980年
1982年
1987年
1990年
北炭夕張第3坑閉山。小野炭坑閉山。
石炭産業の危機を突破するため、市内各界の代表者による「産炭地防衛危機突破夕張市民会議」を設置。
旭開発工業株式会社旭炭鉱閉山。
石川工業株式会社志幌炭鉱閉山。
夕張炭鉱北夕鉱業所閉山。
北炭夕張新鉱開発着工。
北菱鹿島炭鉱閉山。新夕張炭鉱閉山。
三菱大夕張炭鉱閉山。北炭夕張第1鉱終堀。
北炭平和鉱閉山。
北炭夕張新第2炭鉱閉山。
北炭清水沢炭鉱閉山。
北炭夕張新炭鉱閉山。
北炭真谷地炭鉱閉山。
三菱南大夕張炭鉱閉山。

9.石炭に変わる産業を起こすための基盤整備をしました。by橘内市長 1959年~1971年
1961年
1962年
 1971年
健全財政確立のため特別措置網を設定。
産炭地臨時措置法に基づく地域になりました。?閉山の始まり 1963年から
過疎地対策緊急措置法により、過疎地域に指定される。

10.インフラ整備を次々と行いました。
1961年
1962年
1963年
 1964年
1965年
1966年
1966年
市消防庁舎完成。
清水沢鹿島間道路開通
札夕線二股峠の隘路打開のための振動造成着工。
市道沼ノ沢?真谷地線改良舗装工事着工。
夕張隧道完成。
夕張工業団地完成。
紅葉山線の着工開始。

11.次に住民サービスを充実させました。 by吉田市長 1971年~1979年
1971年
1972年
1973年
1974年
1974年
1975年
1976年
1977年
老人医療費無料化開始
80歳以上に対して敬老年金を支給。
3歳児未満医療費無料化実施。
ゴミ収集手数料無料化実施。
中学生以下インフルエンザ予防接種料金無料化。
特別養護老人ホーム「清光園」開設。
70歳以上市内バス無料化実施。
市財政再建のため「行財政の総点検とその対策」を作成、行財政全般の見直しを行う。

12.中田市長が登場し、夕張独自の観光開発を展開しました。 1979年~2003年
1979年
1980年
1981年
1983年
1984年
1985年
1986年
1987年
1988年
1989年
1990年
1993年
1994年
1995年
1996年
1997年
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
メロンブランデー醸造研究所開所。研究開始。
SL館開館。
炭鉱生活館落成。
石炭の歴史村オープン
めろん酒等完成。販売開始。
めろん城完成。
ホテルシューパロオープン
サイクリングロード開通。滝上公園千鳥橋完成。
ロボット大科学館オープン。美術館オープン。アドベンチャーフォールオープン。
めろんワイン、ゆうばり寅次郎販売。ゆうばりはまなす会館オープン。
ゆうばり国際映画祭開催。めろんゼリー発売。
清水沢駅前公園完成。
夕張鹿鳴館オープン。
「文化スポーツ合宿の里ゆうばり」事業開始。
「ユーパロの湯」完成。
夕張芸術の館開館。
虹ヶ丘パークゴルフ場オープン
紅葉山パークゴルフ場オープン
ゆうばり化石のいろいろ展示館オープン
生活歴史館オープン
さわやかホールオープン。
「レースイの湯」オープン。

13.これらは全て強引とはいえ、国策に基づくものでした。
1980年
1987年
1987年
1987年
1990年
1992年
夕張市新総合開発計画策定。
特定地域中小企業対策臨時措置法に基づく地域指定。
産業構造転換円滑化臨時措置法に基づく地域指定。
地域雇用開発等促進法に基づく地域指定。
過疎地域活性化特別措置法に基づく地域指定。
夕張市総合開発計画策定。

14.しかしながら、地域の消滅は食い止められませんでした。
1994年
1996年
1997年
1998年
2002年
道立夕張北高等学校閉校。
市立鹿島中学校閉校。
鹿島地区解散記念式典。
南支所、鹿島連絡所廃止。
松下興産レースイリゾートから撤退。

15.そして未来へ

歴史は事実であり、現実であり、修正は効かない。
未来を描くということはこの続きを描くことに他ならない。

10年後、20年後、そして50年後を描くことに制約はない。
ただ、それを目指して今日から本気になるかどうかが問題である。

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