A14_2.why:イメージと現実

私たちが実現の様子をカタチや中身などの「空間」を使って説明するのはなぜでしょう。それは、あらかじめ目指したイメージと実現した時の現実を同じものにするためです。あらかじめ思い描かずに起きたことは「実現」ではなく「まぐれ=偶然」だとすでにお話ししましたが、たとえあらかじめ説明しても、確かにそれと同じことが現実化しなければ実現とは言えません。ですが例えば、家族に「家を建てる」と宣言し、デパートで買ったおもちゃの家を見せたとしたらどうでしょう。喜ぶのは子供だけで、むしろ「おもちゃの家を家と呼ぶ人」として軽蔑されてしまうでしょう。かと言って、初めから「おもちゃの家を建てる」と宣言したのでは、誰も期待しないでしょう。誰からも期待されないことが実現しても、何の意味があるのでしょうか。

 

このことは、「実現」には何か満たすべき条件があることを示しています。例えば、現状の家に満足できていない人が、「おもちゃの家」で満足できるはずがありません。「一体どのような家なら満足できるのか」を考えて宣言し、それを実現しなければ、相手は満足しないでしょう。つまり、相手の不満に対しそれを解消するような「満足」を提供しなければ、その実現に価値はありません。しかしそれは、人によって様々です。「古い家」が不満で「新しい家」が欲しい人もいれば、「新しい家」が不満で「古い家」が欲しい人もいます。さらにいえば、「満足」と「不満」とは、互いを否定する反対概念のことであり、「不満」とは「満足以外」を指しています。「新しい」を求める人は「新しくない」に不満を持ち、「古い」を求める人は「古くない」に不満を持っていますが、「古い」と「新しくない」は同じではないことも忘れてはなりません。

 

私はもともと建築屋だったので、たくさんの家を作ってきました。家は高価な買い物ですので、満足のいく家ができないと面倒なことになります。そんなトラブルを防ぐには、絵に書いたり模型にしたり、似たような建物を見学したりして「完成の姿」を徹底的に確認して、承認を得てから施工します。つまり満足とは「実現の前に確認すべき前提条件」であり、実現によって得られるものではないということです。こうした事前の確認とは、まさにカタチと中身の確認です。家に限らず、食事や洋服、旅行や学校など、およそすべての商品やサービスを、人はそのカタチと中身を知ることで、興味を持ちます。そして、比較したり、選んだりした後に、購入や体験をしたくなるわけです。

 

こうして実現の姿を空間的に十分理解した人は、実現に対して不満を言うことはありません。仮にあったとしても、選んだ責任は自分にあり、実現に満足できるかどうかは自己責任です。ですから、実現とはそれを実施した人だけでなく、その実現をあらかじめイメージしたすべての人にとって価値を持ちます。それが「まぐれや偶然」との決定的な違いです。

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