A14.where:空間と部分

空間という言葉は、部屋などの場所を指す言葉ですが、私たちは部屋の中にいるから部屋を空間と感じるのであって、外に出ればそれは建物というモノです。ですからここでは「世界を構成するあらゆるモノを指す言葉」ということにします。全ての空間とは「世界全体」と「世界すべて」のことです。全体とすべては同じものですが、全体が1つであるのに対し、全ては全数のこと。例えば、人類という種類は1つですが、その数は70億人です。そこで、これを区別するために「全体と個」と言い換えて、すべてを1つにまとめたのを「全体」、全てをバラバラにした1つを「個」とします。人間が集まった全体を人類と呼び、国が集まった全体を世界と呼びます。つまり、全てのモノは「何かの集まった全体」と考えられます。

ところで、日本という全体は都道府県という個の集まりですが、都道府県という全体は市町村という個の集まりです。この場合、都道府県は日本を構成する個であると同時に市町村の集まった全体と言えますね。こうした「個であると同時に全体」であることを「部分」と定義したいと思います。考えてみれば、日本という国だって都道府県の全体であると同時に世界を構成する個ですし、市町村だって都道府県を構成する個であると同時に町や丁目の全体でもある訳です。こうして考えると、およそ全てのモノが「部分」だと言えますが、現に私たちはモノを「部分」として理解しています。例えば、都道府県とは「国に所属し、市町村で構成されているモノ」と定義されます。東京都は日本に所属し、特別区や市町村で構成されているので都道府県ですが、渋谷区は日本に所属していても市町村で構成されていないので都道府県とは言えません。このように、部分であることは「所属と構成」で説明できる定義であると同時に判断基準だと言えるでしょう。

このように世界を空間的に理解する方法を利用して、自分の思いや目的を描くことが本章の目的です。新しい商品と既存の商品の違いを、その商品がどんな分類に属するのか、どんな材料で構成されているのかを使って説明するのは、まさに「部分を用いた空間的な説明」と言えるでしょう。そして、「同じと違い」を論じることは、「外と内」や、「正と誤」だけでなく「善と悪」や「美と醜」など対立する概念を論じることに通じています。これまで「与えられてきた定義」だと思っていた常識の数々を、あなた自身が再定義して新たな価値観を生み出すことが、where(どこ)の醍醐味です。

 

A14_1.カタチと中身(what)

私たちは何かの様子や内容を説明するのに「空間」の概念を使います。空間の概念は「全体と個(構成要素)」とご説明しましたが、普段は全体のことを「カタチ」といい、その構成要素を「中身」と言います。例えば、人間の「カタチ」は人間全体を意味し、筋肉や骨はその「中身」のことです。山や海、戦争と平和、昼と夜、都会と田舎など、およそすべての概念を私たちは「カタチ」として思い浮かべ、その「中身」について考えます。これらの概念は言葉でなく「カタチ」が先にあり、人々はそれらに名前(言葉)をつけていきました。日本では「空」、アメリカでは「sky」と言われるモノは、呼び名が違うだけで同じ「空間」を意味します。つまり私たちは、言葉でなく言葉が指し示すカタチや中身で世界を説明しているから、世界中の言葉を翻訳し、理解することができるのでしょう。

「カタチ」は5感で感じるもので、目で見るだけでなく触った感触、聞こえる音、漂う匂い、そして味などのすべてを含みます。そして、およそすべてのカタチに対し私たちは名前を付け、それで説明しています。例えば空の色を「青」と呼びますが、「青はどういう色か」と聞かれても説明はできません。カタチはそれを知らないと「思い浮かべる」ことができません。ですから、知らない形を説明することはとても難しい、というか不可能に近いでしょう。そして、熱い・冷たい、硬い・柔らかいなどの感触も「カタチ」の一種です。フランスではワインの味を「太陽をたくさん浴びたブドウの味」のように説明するそうですが、太陽を浴びたことのない人には所詮理解できないでしょう。でも逆に、誰もが知っている感触や経験をうまく組み合わせれば、カタチを説明することもできる訳です。

一方「中身」を感じることはできません。「中身」とは、外から見えない部分であり、触ることも聞くことも嗅ぐことも味わうこともできません。もしも中身を見たいなら、ふたを開けるか皮をむいて内側を覗かなけれななりません。ミカンをいくら舐めても、皮をむいて房を舐めても味は分かりません。結局房にかぶりつき、食べてしまわないと味わうことはできません。このように、実際に中身を5感で確認するには、それを分解し、全てを破壊する必要があり、それでもその成分や組成は分かりません。実際、物質は何で出来ているのか、現代科学では解明できていません。こちらもわかっている範囲で、想像し考えているにすぎません。私とあなたが人間なら、きっと1つの心臓と2つの肺を持っているはずです。私たちは、それを疑うのでなく、信用することで世界を説明しています。

このように、私たちが当たり前のように知っているはずの世界は、実は知っているはずの感覚と、知っているはずの知識で成り立っている「空間」なんです。だからこそ、その気になれば世界を自在に作り出すことも十分に可能なんです。

 

A14_2.必要と十分(why)

私たちが実現の様子をカタチや中身などの「空間」を使って説明するのはなぜでしょう。それは、あらかじめ目指したイメージと実現した時の現実を同じものにするためです。あらかじめ思い描かずに起きたことは「実現」ではなく「まぐれ=偶然」だとすでにお話ししましたが、たとえあらかじめ説明しても、確かにそれと同じことが現実化しなければ実現とは言えません。ですが例えば、家族に「家を建てる」と宣言し、デパートで買ったおもちゃの家を見せたとしたらどうでしょう。喜ぶのは子供だけで、むしろ「おもちゃの家を家と呼ぶ人」として軽蔑されてしまうでしょう。かと言って、初めから「おもちゃの家を建てる」と宣言したのでは、誰も期待しないでしょう。誰からも期待されないことが実現しても、何の意味があるのでしょうか。

このことは、「実現」には何か満たすべき条件があることを示しています。例えば、現状の家に満足できていない人が、「おもちゃの家」で満足できるはずがありません。「一体どのような家なら満足できるのか」を考えて宣言し、それを実現しなければ、相手は満足しないでしょう。つまり、相手の不満に対しそれを解消するような「満足」を提供しなければ、その実現に価値はありません。しかしそれは、人によって様々です。「古い家」が不満で「新しい家」が欲しい人もいれば、「新しい家」が不満で「古い家」が欲しい人もいます。さらにいえば、「満足」と「不満」とは、互いを否定する反対概念のことであり、「不満」とは「満足以外」を指しています。「新しい」を求める人は「新しくない」に不満を持ち、「古い」を求める人は「古くない」に不満を持っていますが、「古い」と「新しくない」は同じではないことも忘れてはなりません。

私はもともと建築屋だったので、たくさんの家を作ってきました。家は高価な買い物ですので、満足のいく家ができないと面倒なことになります。そんなトラブルを防ぐには、絵に書いたり模型にしたり、似たような建物を見学したりして「完成の姿」を徹底的に確認して、承認を得てから施工します。つまり満足とは「実現の前に確認すべき前提条件」であり、実現によって得られるものではないということです。こうした事前の確認とは、まさにカタチと中身の確認です。家に限らず、食事や洋服、旅行や学校など、およそすべての商品やサービスを、人はそのカタチと中身を知ることで、興味を持ちます。そして、比較したり、選んだりした後に、購入や体験をしたくなるわけです。

こうして実現の姿を空間的に十分理解した人は、実現に対して不満を言うことはありません。仮にあったとしても、選んだ責任は自分にあり、実現に満足できるかどうかは自己責任です。ですから、実現とはそれを実施した人だけでなく、その実現をあらかじめイメージしたすべての人にとって価値を持ちます。それが「まぐれや偶然」との決定的な違いです。

 

A14_3.不足と余分(how)

あらかじめ描いたイメージを実現するためには、現状と実現イメージの違いを見つけ、その違いを修正しなければなりません。空間はカタチと中身で説明できますが、カタチは中身で出来ているので、必要な場所に必要な中身があればイメージ通りのカタチができるはずです。したがって、イメージ通りの空間とは「必要な場所に適切な中身がある状態」であり、その実現の方法は「必要な場所に適切な中身を加え、余分な中身を取り除くこと」、つまり「足すと引く」の組み合わせです。もしも庭を菜園にしたければ、植木や芝生を取り除き野菜を植えれば良い。たとえ大切に育ててきた植木や芝生だとしても、それはもはや無用の長物にすぎません。しかしそれはなぜなのか、大切なものがなぜ突然いらなくなってしまうのか。

そもそも庭の植木や芝生には何の問題もありません。全ては「そこを菜園にしたい」と願ったことが始まりです。実現の方法は「足すと引く」なので、実現前の現状は「何かが不足し、何かが余分」のはずです。この場合、「菜園」にするためには「野菜が不足し、芝と植木が余分」となってしまいました。このように、実現のためには実現イメージと現状を比較して「不足と余分」を見つけなければなりません。事前にイメージがないと実現できないのは、まさにこのためです。私たちが探すべきものは「現状が抱えている問題」でなく「実現に必要な過不足」です。例えば、小さな庭を菜園にするなら、庭を潰して菜園に作り直す必要がありますが、広い庭であればその一部でも十分かも知れません。このように、実現に際しては必要と十分の双方が大切です。菜園を作ることと庭を潰すことは違うことです。余分なのは庭ではなく、例えば駐車場かも知れません。

必要とは「それが無ければ実現しない」ということですが、十分とは「それさえあれば実現する」ということです。ですから、実現を目指すならこの「十分」を見つけることが何よりも重要です。でも私たちが求める実現は、「菜園を作る」のような簡単なものではなく、むしろ前例のない難しいものを覚悟しなければなりません。しかし同時に、難しいということは必要条件を満たすことが困難であることを意味します。社会には、いくら必要なことをコツコツ積み重ねても、一向に解決しない課題がたくさんありますが、私たち自身も似たような堂々巡りを繰り返しているのかもしれません。そこで私は、あえて十分条件を探すことをお勧めします。本気で実現したいなら、必要条件を並べるのでなく、一つの十分条件を見つけるべきです。それは「事例」です。もしも世界のどこかで、あなたの目指すイメージが実現していたなら、それを指して「ああなりたい」と言えばいいんです。

空間とは世界のこと。空間を作るとは、世界を作ることです。もしもあなたが自分の望む世界を作りたいのなら、それは世界のどこかにあるはずです。そのものズバリで無いにしても、いくつかを合わせたもの、何かを小さくしたものなど、その手掛かりは必ずあるはずです。そしてその中にあなたのやりたい何かが必ずあるはずです。私たちは、見たことも聞いたことも無いどこにも無いものを求めることはありません。そんなものはイメージできないので、求めようもありません。さらに言えば、私たちが求めるものは「一つ」です。一見たくさんあるように思えても、それらは何か一つのものを説明するために並べられているだけで、その全体は一つのことを示しているはずです。「空間は全体であり一つである」というのはそういうことです。私たちは一つのことを示す言葉が無いからたくさんの必要条件を並べているだけで、言葉さえあればそれらを一言で言えるはずです。「菜園」を簡単だと言いましたが、「菜園」という言葉が無ければその説明は大変です。実は「菜園」が簡単なのではなく、その言葉があるから一言で言えただけのこと。

実現とは、複雑に見えるイメージを一つの現実にすることです。
私たちは、一つのことを的確に言えず、難しくしているに過ぎないのだと、何かを実現するたびに思います。

 

A14_4.内と外(who)

私たちにとって、空間の中身を知るのは難しいですが、カタチを知るのは簡単です。それは、空間の中身とカタチを「内と外」と言い換えればよくわかります。空間を知るというのは、自分で見たり聞いたり5感で感じ取ることなので、知るにはまずそこに自分がいることが必要です。「内」とは、入ることのできない部分のことなので、私たちは「外」からでしか空間を知ることはできません。したがって、私たちは空間のカタチを知ることができても、中身を知ることはできません。ところが、自分自身の中身だけは知ることができます。自分のことを「私」、相手のことを「あなた」、その他の人を「あの人」と区別するのを「人称」と言いますが、空間にも同じく「これ・それ・あれ」人称があります。人間は、自分の中身は自分しか分かりませんがコミュニケーションによって他人の中身を知ることができ、あなたとあの人の違いはコミュニケーションの相手かどうかの違いです。更に「相手の身になる」という言葉は、人間が何にでもなれることを意味します。私たちは「自分だったら」と考えることで、あらゆるものの中身を知る(知った気になる)ことができます。

実現の様子を空間で説明するのは、それが満足できるものだと他人に理解してもらうためです。人間の満足とは、自分自身にしかわからない内面的なものです。でも、それを実現するためにできることは、外面的なことばかりです。そこで、実現しようとする空間の外見が、内面の満足をもたらすものであることを事前に確認することが、説明の目的です。例えば、「ブティックで買った服がよく似合う」とはどういうことでしょう。もちろん本人が似合うと思えばそれでいいのですが、それを外から見てわかるよう可視化しないと、実現できません。そこで、本人の満足という内面の状態を外面的なカタチにしてみましょう。例えば、専門のスタッフが選んだ服を静かな部屋で試着して、街を歩きながら感想やアドバイスをしてもらえたら、納得のいく服を選べるかもしれません。説明とは知らないことを知るようにすることです。この場合「似合う服の選び方」を知らない人が、それを知るという様子=カタチを示しましたが、視覚的な光景だけでなく、静けさや賑わい、香りなども説明すれば、もっと理解が深まるかも知れません。

こうして描いた満足の光景を実現させるには、現状と満足を比較して、足りないものを加え、余計なものをそぎ落とします。そして満足の実現に必要なものでなく、十分なものを見極めることです。人間は自分の満足ですら自分だけでは決められないからこそ、ビジネスが成立するわけです。自分で解決できる人は、ビジネスの対象ではありません。だからこそ、他人の評価・解釈・反応などを高め、「満足に値する外的な状況」を作り出すことで、本人の満足を作り出せると思います。そこで大切なことは、満足の基本をなす「善悪」、「勝敗」、「美醜」などの「価値基準」です。善、勝、美などの満足の要因を加え、悪、負、醜などの不満の要因を排除していきます。「服が似合う」ということは、良いことなのか、強いのか、美しいのかなど、その価値観を具体的にしていくことが大切です。そしてその根拠は「あなた自身がどう感じるか」でしか無いことを、忘れないでください。

 

A14_5.同じと違い(where)

私たちにとって、空間の中身を区別するのは難しいですが、カタチを区別するのは簡単です。それは、空間の中身とカタチを「同じと違い」と言い換えればよくわかります。空間を区別するというのは、比較して違いを探すことなので、比較するにはまず知ることが必要です。「同じ」とは、それ自体を指す言葉なので、私たちは「違う」かどうかでしか空間を区別することはできません。したがって、私たちは空間のカタチを区別できても、中身を区別することはできません。ところが、区別できないものを私たちは「同じ」と言ってしまいます。実際「同じ」かどうかを確かめるのは大変で、全てを確認し、一つも違いが無いことを証明しなければなりません。でも私たちは、肌の黒い人を見て「黒人」と呼んでいますが、日焼けしているだけの人かもしれないし、白人に分類されるインド人かも知れません。夜空に光るものをまとめて「星」と呼んでいますが、飛行機や山小屋の明かりかも知れません。それらがすべて同じかどうかを確認もせず、肌の色や光り方が似ているだけで、「同じ」と言っているのは「残りの判らないことは全部同じ」にしているからではないでしょうか。

実現の様子を空間で説明するのは、それが満足できるものだと他人から選んでもらうためです。人間は自分の知っている満足と同じものを選びます。でも、人間が区別できるのは違いだけで、同じものを見つけるのは苦手です。そこで、実現しようとする空間のカタチの違いが、満足と同じ中身をもたらすものであることを事前に確認することが、説明の目的です。例えば、「ブティックで買った服のセンスが素晴らしい」とはどういうことでしょう。もちろんセンスの良い服を選べばいいのですが、それとセンスのない服の違いが判らなければ、実現できません。そこで、センスが良いと悪いの違いを、具体的なカタチにしてみましょう。例えば、店内を2つのエリアに分け、センスの良い服と、無い服に分類すれば、誰もがセンスの良い服を選べるかもしれません。説明とは区別できないことを区別できるようにすることです。この場合「センスのいい服」を区別できない人が、区別できるようになるという様子=カタチを示しましたが、さらに年齢や体形など分類を充実させていけば、もっと多様な違いを提示して選択肢を扶足すことも可能です。

こうして描いた満足の光景を実現させるには、現状と満足を比較して、足りないものを加え、余計なものをそぎ落とします。そして満足の実現に必要なものでなく、十分なものを見極めることです。私たちは、違いが無ければ物事を区別できないからこそ、選択肢が必要です。選択肢の無い絶対に正しい答えとは、選択肢作りを怠っているだけのことだと思います。だからこそ、広い視野を持って世界を俯瞰し、「大切な選択をするための選択肢」を作り出すことで、自発的な合意を作り出せると思います。そこで大切なことは、違いを明確に表現する5感に伝えるカタチです。アートが装飾を付け加える行為なら、デザインはシンプルにそぎ落とす行為かも知れません。「センスがいい」ということは、どういうことか、そのカタチを5感で判別できるよう、具体的に提示していくことが大切です。そしてその根拠は「あなた自身がどう考えるか」でしか無いことを、忘れないでください。

 

A14_6.質と量(when)

空間のカタチや中身の違いは、その質と量で説明します。質とは他との違いのことで、特徴とも言いますが、量とは同じものがどれだけあるかの数を指します。例えば、三角形とは閉じた直線で出来た角が3つある図形のことで、四角形はそれが4つある図形のことです。また、質とは5感で感じるすべての特徴を意味しますので、カタチには見た目だけでなく音や匂いや手触りの他、重さや硬さなども含まれます。様々な楽器が異なる音色を奏でても、音程は周波数で数値化できます。さらには、同じ三角形でも長さを変えれば大きさの異なる三角形になりますし、音量を変えればうるささが変化します。更には同じ三角形を数多く集めることで、壮大な幾何学模様を生み出すことも可能です。

実現の様子を空間で説明するのは、それが満足できるものだと他人から評価してもらうためです。人間は自分の知っている満足と比較して選びます。でも人間は、同時に並べて比較しなければ、その違いを見つけ、優劣を判断するのは困難です。優劣を評価するためには、数値化することで比較しやすくする必要があります。ましてや、外から見ることのできない中身の様子や、味や重さ、そして遠く離れてみなければわからない全体像や規模などは、質や量の説明が不可欠です。更には、質や量は時とともに変化していくものです。少しずつでも増えていくこと、あるいはいつまでも減りにくいことなど、時間経過に伴う変化の様子も質と量で語ることができます。

こうして描いた満足の光景を実現させるには、現状と満足を比較して、足りないものを加え、余計なものをそぎ落とします。そして満足の実現に必要なものでなく、十分なものを見極めることです。私たちは、目安が無ければ物事を比較できないからこそ、数値による説明が必要です。比較の余地のない絶対に正しい答えなど、数値化を怠っているだけのことだと思います。だからこそ、長期的な視野を持って世界を俯瞰し、「適切な選択をするための数値基準」を作り出すことで、合理的な合意を作り出せると思います。そこで大切なことは、価値を明確に表現する判りやすい指標です。誰もが価値を測ることができるようになれば、その価値を高めることも容易になります。そしてその根拠は「あなた自身がどうやったか」でしか無いことを、忘れないでください。

 

A4.ワークショップ ビジネスの見せ方・見え方

1.あなた自身のこと

あなたの見かけと中身:私は一見して           のようだが本当は   

あなたの分類・所属:           の仲間ようだが本当は                 の仲間

あなたの個性・特徴:他は            ですが私は               

 

2.やりたいビジネス ()内はその特徴

事業名

1                                (                 )

2                                (                 )

3                                (                 )

 

3.ビジネスの見かけ

一見して                 、実は         

 

4.ビジネスの分類

               の仲間に思えますが実は、               の仲間です

 

5.他との違い

他のビジネスは       ですが、これは   

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