A13_5.where:利害と損得

「利害と損得」もまた、「丁寧と尊敬」と同様に相手によって変わる関係を示す言葉です。でもそれは、相手が「だれ(who)」なのかではなく、どういう人か・・・つまり属性の違いである「どこwhere」に属する人間関係と言えます。「損得」は、相手がいなければ生まれない概念ですが、相手と自分のどちらがより得をしたかという比較をしているわけではありません。例えば、100円の水に1000円出せと言われても、900円も損してまでジュースを買おうとは思いませんが、もしものどが渇いていなければ100円で買うことすらしませんし、災害時の被災地では1000円の水が飛ぶように売れるのも事実です。つまり、損得とは、自分の中で損(相手に与えるもの)と得(相手から得るものの)を比較していることに他なりません。また、利害とは、自分の損得と、相手の損得の関係です。自分が得をすると相手も得をするのであれば「利害が一致(味方)」、自分が得をすると相手が損をするのであれば「利害が反する(敵)」となります。そして、利害の判定の元となる損得が自分自身の問題である以上、利害関係もまた「相手が誰か」ではなく、「自分にとってどういう人か」によって決まってきます。

 

したがって、能動と受動でいえば、「自分が損する・得する」という意味で損得も利害も受動的と言えます。でも、「相手を利する・害する」という意味で利害関係を能動的に使うことができます。利害一致の関係であれば、自分に得なことをすればするほど相手に得をさせることができます。例えば「信頼関係」とは、互いが相手の言うことを信用する関係のことです。先日、ある人の「信用するということは確かめないこと」という言葉を聞いて驚きましたが、確かにわざわざ確認する必要がないことを得と考えれば、互いが信用することで利害が一致します。他方、「損して得取れ」という言葉は、「利害相反」の場合に使う言葉です。相手の得が自分の損になるのであれば、自ら進んで損することで、相手に得をもたらすことができます。このように私たちは、相手の身になって損得を考えることにより利害関係を理解し、それを活用して相手の損得をコントロールできるのだと思います。

 

こうした損得に関する欲求に対し、満足を提供することがビジネスの方法です。先回説明した丁寧と尊敬が求める「親密や嫌悪(好き嫌い)」が極めて主観的だったのに比べると、損得や利害が生み出す「敵と味方」のような関係は、数値化や形式化が可能な点で空間的(where)な欲求だと言えます。好き嫌いが定性的なのに対し、敵と味方が定量的と言ってもいいと思います。例えば、同じ費用で雇える人が1人と2人では、2人の方が得ですが、同じ値段の鈴木さんと田中さんでは単純に損得は測れません。これが「だれ(who)」と「どこ(where)」の違いです。鈴木さんと田中さんの損得を比較するには、能力や体力などを具体化(数値化)していく必要があります。そうすることにより、欲求と満足の双方を具体的な原因と結果に変換し、実行することができるようになります。現状の戦力分析(原因)と、必要な戦力想定(満足)を行い、そのギャップを埋めるのが採用です。そして、満足のいく採用を実現し、その人材の能力を発揮させるには、相手の損得を十分に考慮しながらの自分との利害一致をアピールし、相手の得を実現するよう努めなければなりません。

 

自分の望んだ状態を、相手が自ら求めるよう仕向けることが、人間の世界での実現です。「あなたのような方に運転してもらって、この車もさぞ喜んでいることでしょう」という言葉は、その車に乗ることがどのように得なのかをとても分かりやすく説明しています。考えてみれば、車が感謝するはずもないし、どんな車かもまるで分りませんが、この言葉に賛同する人が車を買えば、売り手と買い手の利害は完全に一致するはずです。新たな損得を定義し、相手の得を実現するために自分は何をすればいいのか・・・を考えることこそが、まさにビジネスの醍醐味だと思います。

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