A13_4.who:丁寧と尊敬

丁寧と尊敬は、人間関係の中でも「だれ(who)」と密接に関わっています。いずれも「相手がだれなのか」によって変化する概念です。これらは日常生活の中で「丁寧語」や「敬語」という言葉遣いの問題として避けることのできない問題です。特に日本語は外国語に比べその取扱いに厳しいようで、丁寧語と敬語を使いこなすことが社会人のたしなみだと言っても過言ではありません。相手に応じて正しく使い分けないと、日本人かどうかを疑われても仕方がないほど、人減関係に影響を及ぼします。その理由を、これまでの議論に沿って説明したいと思います。

 

能動と受動のいずれかといえば、丁寧と尊敬は能動です。これを相手の立場で受動的に考えるとどうなるでしょう。丁寧の反対は乱暴で、人は初めて会った人からいきなり乱暴にされたら腹が立つでしょう。でも、回を重ね会ううちに、丁寧な言葉や態度が粗雑や乱暴になってくるのは、決して関係が悪化しているのでなく、むしろ親しくなった証です。一方、尊敬の反対は謙遜で、人は初めて会った人から尊敬されても軽蔑されてもなすすべがありません。でも、回を重ねて会ううちに、目上の人を尊敬し、目下の人に対しては謙遜する関係になっていきます。この違いは、丁寧が相対的な距離関係で、尊敬が絶対的な上下関係だと僕は考えます。相手との距離は、歩み寄れば近づくし退けば離れますが、上下関係はそう簡単には変化しません。

 

では、丁寧と尊敬は何を欲求し、どうなれば満足するのでしょうか。親しくなったり険悪な関係になると相手に乱暴な言葉を使うようになるのであれば、丁寧が目指すのは「親密」でも「険悪」でもない「適度な疎遠」だと言えるでしょう。一方で、敬語は、相手に応じて尊敬と謙遜を正しく使うことが求められいるだけで、誰もが尊敬されなければ満足できないわけではありません。このように、人間の満足とは、遠いか近いか、高いか低いかではなく、相手にふさわしい絶妙な距離や適正な上下といえるでしょう。そのバランスを求めて、人間は攻めたり守ったりするわけです。距離を調整するには丁寧にしたり乱暴にしたりすることで親密と疎遠の間の普通の関係を目指し、上下関係においては自分が強ければ謙遜し、自分が弱ければ尊敬することによって対等を目指しているのだと思います。

 

転職し、初めての営業先でやっとのことで会ってもらえた社長さんが、一番仲の良かった昔の悪友だったと気づいた時、「お前、久しぶりだな!」とは言えません。きっと適度な距離を置き、「どうぞよろしくお願いします」と最敬礼をすると思います。でもやがて、面談が済んで二人きりになったとき、「お前、偉そうにしやがって!」と二人は抱き合うかも知れません。人間は、たとえ自分が弱くても、強い人と親しければ力を持つことができるし、たとえどんなに強くても、弱い人たちと親しくすれば多くの人と親しくなれたりするものです。人間関係とは、丁寧と尊敬の両方を使いこなすことで、上下と遠近という立体に広がる世界のことなのだと思います。

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