A13_2.why:欲求と満足

人間が相手に対し何かをしたり、相手から何かをされるのはなぜでしょう。それは、願いが叶った状態を現実にするには相手の協力が必要だからです。例えばレストランで食事をしたければ、従業員に注文を伝え、料理を運んできてもらわなければなりません。楽しく食事をしたければ、相手にも楽しくしてもらわなければなりませんし、静かに食事をしたければ、みんなに静かにしてもらわなければなりません。その場合のみんなには、レストランに置いてあるテレビや、前を通る自動車も含まれます。自分の願う状態を実現するということは、全ての相手にその状態になってもらうことでもある訳です。

それでは、誰かの願いが叶い、満足のいく状態になったかどうかを確認するには何が必要です。それは、願いが叶い満足できるのがどういう状態かを、事前に知っておくことです。そして、起きたことと同じことが事前に説明されていれば、それを実現と確認できます。したがって、実現を目指す人は、その願いが叶った状態を、誰にでもわかるよう事前にかつ具体的に説明しておく必要があります。この誰にでも同じく理解できる具体的な現実が「客観」で、それに対する自分の思いが「主観」です。ですから実現とは、主観的には自分自身の願いを満足にすることであり、客観的には事前に説明したことをその通りの現実にすることです。ただ、客観の対象はたった一つの現実なので誰にでも説明できますが、主観の対象は個別の自分自身なので自分の目的は自身で定義するしかありません。先ほどの事前の説明とは、むしろ宣言に近いものかもしれません。

このことは、「安心と安全」を例にとると分かりやすいかもしれません。安心とは、「安らかな心」という私たちの願いですが、安全とは「すべてが安らか」という現実の状態です。私たちはこの二つの言葉を互いが求めあう主観と客観として用いています。ここで重要なのは、安全とは、「結果的な偶然の無事故無災害」の状態を指すのでなく、「事前の宣言に基づく無事故無災害」を指していることであり、「安心」とはその信頼感を意味するに等しいことです。このように、主観的に求めたことを客観的な要求にし、それに対して与えられた客観的な結果こそが主観的な満足を生み出すのかもしれません。大きな満足を与えるには、まず大きな欲求をはぐくむことが大切だと思います。

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