A13_1.what:能動と受動

自分のすることが相手からどのように思われるのかを考えることは、何かをする側とされる側について考えることです。いじめっ子に対し、「あなたが同じことをされたらどう思う」というのは、まさに「いじめられる側の身になれ」ということです。この「するとされる」の関係を「能動と受動」と言いますが、相手の身になるとはこの関係を反転することだといえます。考えてみると、私たちが悲しいとか嬉しいと感じるのは果たして自分のことなのでしょうか。テレビで稀勢の里が優勝するのを見て涙してしまうのはなぜなのか。多くの場合、自分が横綱になったときのことを思い出したからではなく、テレビを見ているうちにあなたが稀勢の里の身になったためだと思います。

でもこの場合、「するとされる」はどのように反転したのでしょう。なぜ稀勢の里は大変だ、日本人横綱の責任は重いと感じるのでしょうか。それは、あなた自身がそう思っているからです。あなた自身が稀勢の里にプレッシャーをかけている張本人だからこそ、稀勢の里の涙の意味が分かるのではないでしょうか。人種や宗教など様々な偏見や差別が無くならないのは、私たち自身が偏見を持っているからです。公務員はけしからん、天下りなどとんでもないと言いながら、就職人気業種のトップは地方公務員なんです。素晴らしいことも、けしからんことも、人間の世界はすべて自分の心から湧き出すことで出来ています。誰かのせいで被害にあえばその時は被害者ですが、そのせいで誰かに迷惑をかければあっという間に加害者になってしまいます。能動と受動はいつも背中合わせなのが人間の世界です。

ですから、人間の世界を考える上で大切なのは、この能動と受動を固定化せず、今自分はどちらなのか、相手側からどう見えるのかを考えることだと思います。自分のやりたいことが相手からどう見えてどういう意味を持つのかを考えるだけでなく、自分のやりたいことは相手からどう思われてどうされたいのかを考える必要があります。自分の思いを伝えるということは、どうすれば自分と同じことを相手が思うようになるのかを考えなければ実現しません。能動と受動を自在に使いこなすことで、一見複雑に絡み合う人間の世界を解きほぐしていけると思います。

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