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言葉は世界でできている_01

本当のまえがき(執筆前に書きました)  私たち人間は、言葉を使う動物です。もしも犬が言葉をしゃべったら、人間の仲間に入れてあげてもいいんじゃないかと思います。何を馬鹿なこと言ってんだ…と思いますか? そう、こんな馬鹿なことを言える言葉って、人間だけが使える大発明だと思います。 言葉は、何がすごいのかって、それは「何でも説明できること」です。およそ言葉で言えないことは無い…と多くの人が疑わず、不自由なく使っています。もちろんすべてを説明できるわけではなく、上手く言い表せないこともありますが…という具合に、言葉の不備だってきちんと説明できます。でも、それは当然のことかもしれません。そもそも言葉は、この世界を説明するために作られたものだからです  そこで私は疑問を持ちました・・・言葉はなぜ、何でも説明できるのか?言葉が世界を説明できるということは、言葉と世界が同じ構造、同じ仕組みでできていると考えられます。人間は、世界を説明するために世界のすべてに言葉当てはめて行くうちに、世界と同じ仕組みの言葉を生み出したのではないか・・・これが「私の発見」です。もちろんこれは独りよがりで、既に誰かが気づいていて、どこかに本まで書いているかもしれません。でも、私にとっては「自分で探し見つけた発見」です。私は、この答えを捜し求めていたから発見できました。では、なぜこんな答えを探していたのか・・・ようやく本題にたどり着きました。 私が本業の「起業支援」で日々取り組んでいるのは、「私たちが何かを実現しようと思ったら、一体どうすればいいのか?」という課題です。この課題は、一見「どうすればいいのか?」という課題に思えますが、実はそうではありません。正しくは、「私たちは何を実現したいのか、そしてそのためにはどうしたらいいのか?」という疑問であり、「どうしたらいいのか?」の前に「何を実現したいのか?」の答えを出さなければなりません。 ところが、これが難題です。「自分が何をしたいのか」は、簡単にはわかりません。言ってみれば、「他人から教えてもらえない」という難しさです。人に相談しても、たとえその答えが目の前にあっても、自分で「これだ」と気づかなければ、答えを知ることはできません。結局、「どうすれば答えが判るのか」が判らないなら、「答えが判ったらどうなるか」を思い浮かべるしかありません。 「判る」とは、どういうことか・・・そのヒントは「言葉」にあります。「言葉はすべてを説明できるわけではない」が、あるとき説明できるようになる・・・これが「判る」ということです。自分で説明できなかったことをあるとき説明できるようになる「気付きの瞬間」が「判る」であり、その説明が「答え」だと思います。 では、気付きの瞬間とは何か、なぜ私たちは教わることができない答えに気づくことができるのか。その答えは意外と簡単です。私たちは「あらかじめ答えを知っている」と考えるのが自然でしょう。 このヒントも「言葉」にありました。「上手く言い表せないこともありますが・・・」とは、知っているけど上手く説明できないということです。他人に対してだけでなく、自分に対しても言い表せない、つまり適切な言葉が見つからないので、言うことも考えることもできないのです。でもある時「これだ!」という気付きの瞬間が訪れます。「これ」とは、自分で持っているものを指す言葉です。つまり「これ」は出会った言葉が自分の持っていた答えと一致したことを意味するのかもしれません。 こうして私たちは、自分の知りたいことを知るために、「言葉」という道具を実に見事に使いこなしています。いや、過酷な世界を生き抜くための「武器」といってもいいかもしれません。私たちがいちいち出かけずに遠い世界のことを考えられるのも、過ぎた過去や、まだ見ぬ未来を想像できるのも、顔も見えない世界の人々を思いやるのも、言葉があるからです。ではなぜ言葉で世界を理解することができるのか?・・・その理由を私は知りたかったのです。 この本は、言葉が表すさまざまなことから「言葉が世界の何と対応しているのか」を考え、世界の仕組みや成り立ちを知り、自分の目指す世界を自在に描く試みです。私が勝手に考えたことに、偶然出会った文献や意見を都合よく引用して組み立てます。不自然な部分や強引な部分も多々あると思いますが、その辻褄合わせをするよりも、途中で嫌になる前に書き上げることを最優先します。そして、一刻も早く、皆さんに読んでもらいたいと思いました。皆さんのご意見、ご感想、ご批判、お叱りなどをいただくのが、今から楽しみです。さ、一丁がんばって書くかな!

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