期待と不安

明日は急遽誘われたイベントに参加するため千葉県鴨川市に行くのだが、どうやら若者たちが政治団体を旗揚げするらしい。

もう前日だというのに、イベントの告知情報がまだ届かず、どんなイベントかよくわからないが、とにかく若者たちから誘われたというだけで、僕は嬉しくて駆けつけることにした。

だから、何を問われるのかも判らないのに、何と答えようと、心が弾む。

胸が高まり、ワクワクする一方でふと、僕は一体何をそわそわしているのかと考え込んでしまった。

この気持ちは「明日への期待と不安が混ざった気持ち」とでもいうのかも知れないが、そもそも「期待と不安」って何なんだ?

まず、このイベントに対する期待と不安とは、成功に対する期待と失敗に対する不安と言えるだろう。

これは、これからやることに対して必ず湧き出す感情で、じゃんけんの勝ち負けのようなもの。

もしも、勝っても負けてもその後に何の影響もないのなら、大してドキドキしないだろう。

つまり、未来にドキドキするということは、成功と失敗、勝ちと負けなどを決する「重大な分岐点」に差し掛かった状態かもしれない。

だが僕は、明日のイベントの内容をまだ知らないので、イベントの成功と失敗をイメージすらできない。

急いで告知しないと誰も見に来ない・・・などは主催者の心配であって僕には関係ない。

僕のドキドキは、漠然と僕自身が「格好良くできるかできないか」とか、みんなから「松村さんすごいと言われるかどうか」くらいしか思い当たらない。

だが待てよ、これこそが僕の不安ではないか。

自分の出来栄えや評価しか考えていない自分に対する不満を、解消できずにいることが。

僕の目的は、自分の評価や評判を高めることでなく、誘ってくれた若者たちの期待に応え、喜んでもらうことのはず。

だとすれば、そうできなかった場合などいくら考えても意味がない。

目的を実現した姿をこそ真剣に考えなければ、目的を果たすことなどおぼつかない。

そうか、そういうことか。

これこそが、僕が若者たちに伝えたいことかもしれない。

自分たちの夢や希望が叶わないこととばかり戦うのでなく、叶えるためにはどうするかを徹底的に考え、行動すべきだと僕は思う。

そこで僕は、未来を、じゃんけんと同じ一か八かのギャンブルににしないため、期待と不安をきちんと定義して、未来と切り離したいと考えた。

そもそも成功と失敗とは、目標の達成と未達を意味している。

エベレスト登頂や月面着陸など、そこに辿り着けたかどうかであり、たどり着けないことが悪いわけではない。

成功すればラッキーで、失敗すれば残念なだけのこと。

僕らの未来とは、その一瞬のことでなく、長く続く状態を意味するはずだ。

たとえ願いが叶わない状態が続いても、諦めずに挑み続けるだけのこと。

願いを否定し、その実現を阻むものがあれば、それを乗り越えていくしかない。

そう考えていくと、願いの実現を諦める必要…つまり不安の材料など、どこにもないはずだ。

目的を叶えることの苦しさや困難さが不安を生み、楽や簡単にできることに期待している自分に、気付いて欲しい。

そして必要なのは、あなたの願いが「死んでもかなえたい願い」なのか、をよく考えることだと、僕は思う。

明日は、語るぞーー!