社会をつくる地域起業

ビジネスとは営利や非営利を問わず、また組織形態を問わず、その事業目的を実現するための活動の総体をいう。

したがって、ビジネスの主体者としては株式会社などのような営利企業だけでなく、NPOなどの非営利活動法人や住民サービス提供などを行う行政組織等を含み、個人または法人組織などの事業体がそれぞれの事業目的実現のために人・物・金・情報などの諸資源を活用して行う活動全体を意味する。

僕は、このWikiによる「ビジネス」という言葉の説明が大好きだ。

営利・非営利だけでなく行政も含むことで公私の隔たりを超え、個人または法人組織などが行う活動の「全体」という最後の部分にシビレル思いだ。

「起業」とは、このビジネスを生み出すチャレンジのことであり、ぼくは「起業」を応援する活動家だ。

・・・と、いきなり鼻息の荒い書き出しから始まる今日の話を、是非聞いて欲しい。

活動の「全体」であるビジネスは、公私・官民の「すべて」を指すのであれば、ビジネスを生み出す起業もまた「すべて」に挑むチャレンジだろうか。

僕にはそう思えない。

僕等がチャレンジできるのは、あくまで私的なビジネス=会社であって、社会を担う行政を僕らが生み出せるとは思えない。

つまり、「官民双方」のビジネスに携わることはできるが、自分で生み出すことができるのは「民の部分だけ」に思える。

社会の課題に取り組むビジネスを「ソーシャルビジネス」と呼んで、行政が解決できない社会課題に民間ビジネスが挑むというが、そもそも社会の当事者は市民=民なのだから、そんなことは当然だという意見もある。

だとしたら、官とはいったい何なのか。

この疑問は、今回のコロナ感染対策で一気に爆発した。

新型コロナウィルスの感染拡大から、地域社会を守らなければならないことに異議を唱える人はほとんどいない。だが、そのためにどうすべきなのか、突然行政の動向に注目が集まった。

行政に不満を唱えたり、救いを求める人たちだけでなく、多くの人々が自分の取るべき行動について、行政の指示を待っている。

だが、考えて見れば、たとえ小さな店舗でも、コロナに対してどのように対応するかは行政と同じ社会的な判断だ。

つまり、お店は商売を行う会社であると同時に、世界の一部分を担う地域でもある。

それなのに官と民は、全体(公)と個人(私)にすり替えられ、、全体のために個人が逆らえない社会になっている。

だが、世界には誰かが統治する全体など無く、たくさんの部分=地域があるだけだ。

世界は誰のものでもない広い海であり、そこに浮かぶ陸や船で僕たちは生きている。

財政破たんした日本政府と、統廃合を続ける地方自治体は、沈みゆく船のようなもの。

すでに大きくなり過ぎたこの船では、大勢の国民の合意を作れず、自由参加の多数決というでたらめな民主主義で、だれも責任を取らずにすべてが決まっていく。

この船を信じ救うため頑張る人たちに、僕は同情のエールを送りはするが、手伝おうとは思わない。

むしろ沈没に備え、たとえ小さくてもたくさんの新たな船を作ることが僕の仕事だ。

新しい船とは、豪華な船を目指すのでなく沈まないことを目指したい。

 

そもそも「官・民の区別」が生まれたのは明治維新の時で、それ以前の日本に「官・民の区別」は存在しなかった。

幕藩体制において、徳川幕府は約400万石の直轄領からの年貢が経営の基盤で、その他の藩もすべて領内の年貢収入で自活していた。

ある説によれば、この体制は社団国家と呼ばれ、各藩は統治の単位であると同時に経済の単位でもあった。

それが明治維新以降は、全国を統治する明治政府のもとで税収が政策的に地方に配分され、経済活動も広域化と画一化が進行した。

その結果、世界の人や物は活発に移動するようになって活気づき、確かに世界経済の平均値は上昇した。

だが、平均層つまり中流層が増えたのでなく、富裕層と貧困層に分化が進み、富裕層への富の集中が平均値を引き上げているに過ぎない。

今後、AIなどの技術革新は労働力の更なる削減を招き、グローバル化した一部の成功者にますます富が集中する。

そして、大部分の人がその富に依存してぶら下がって生きていくようになるだろう。

僕が立ち向かいたいのは、この問題だ。

僕のチャレンジは、グローバル化に対抗するローカル化、つまり自立する地域社会の創出だ。

人が集まる社会は、複数の人たちの依存関係で構成されており、完全に自立して誰にも依存しない人は、存在していないに等しい。

貨幣経済は確かに個人主義の実現を促進したが、それは依存の相手が他人からお金に替わっただけのこと。

結局、巨大なグローバル経済に依存する孤立した人たちを生み出して、地域社会は彼らの一時的仮住まいになりつつある。

地域で生きるとは、気の合う仲間とともに「小さな世界=地域」を担い、世界中の「地域」の担い手たちと交流すること。

ここで言う「地域」とは、夢を共有する人たちが、その夢を叶える環境や空間の維持に取り組むコミュニティの縄張り=領地のこと。

大きな社会の課題に抗うのでなく、もっと小さなエリアでの循環や継続を実現し、自分たちが求める地域を作り出したいと思う。

かつての王侯貴族や大名たちが、権力や暴力で奪い合っていた戦争の世界を、僕ら市民が地域独自の夢と工夫で多様な個性を競い合う平和な世界に変えていきたい。

ビルゲイツやザッカーバーグでなく、織田信長や豊臣秀吉を参考にしながら、地域社会を作り出す「地域起業」に取り組みたい。