無いものねだり

先週僕は、マレーシアのコタキナバルと、ブルネイを訪ねる旅行に行ってきた。

マレーシア連邦は、現在マレー半島の南側部分とボルネオ島の北部を合わせた国土を持つが、そもそも第2次世界大戦の戦後処理の中でフィリピンやインドネシアを含む広域酷夏の構想からスタートしたという。

このエリアには中国系、インド系、マレー(現地)系の人々が暮らしているが、マレー系の住民が過半を占める国家をつくるため、今の範囲に落ち着いた。

だが、そのプロセスの中で、中国系住民が多いシンガポールが追放に近い独立を余儀なくされた一方で、独立にこだわったブルネイ王は英国に巧みに利用することで連邦の枠から外れ、1984年に独立を果たした。

太平洋戦争の主戦場となったこのエリアが、東南アジアの中でも天然資源に恵まれていることは言うまでもない。

その意味で、資源がもたらす富と社会の関係を考えさせられる旅となった。

これまで2回訪問したシンガポールと、今回訪問したマレーシア、ブルネイは、富と社会の関係において見事に3種類の様相を見せている。

マレーシアとブルネイは、共に豊かな資源に恵まれているが、シンガポールにはめぼしい資源はない。

資源が生み出す富を部族や地域で奪い合うマレーシアに対し、完全に独占するブルネイの王朝は、世界4位の富豪と言われる。

シンガポールは場所の利便性を生かし、交易や金融の拠点として豊かな経済を実現し、ブルネイは王室の富を国家運営に活用し、社会福祉の充実した豊かな国民生活を実現しているのに対し、マレーシアは格差と腐敗に満ちた不満だらけの社会となっている。

アジアにおける国民一人当たりのGDP順位は、シンガポール2位、日本4位、ブルネイ6位、マレーシア9位という順番だ。

ブルネイ国王の所有資産は200億ドル(2.5兆円)と言われ、ブルネイの国家予算45億ドルの数倍に当たる。

ガイドの説明では、毎秒100ブルネイドル(約80円)の収益が世界中の事業や投資から生まれているので、その365日分は約2.5兆円だから、先ほどの資産額も頷ける。

ブルネイの国民はほとんど納税しておらず、教育や医療はもちろん無料で、住宅や車の購入に際しては、その頭金の支給やキャッシュバックまであるという。

今回僕たちが宿泊したロイヤルエンパイアホテルは、もともと王族たちの別荘だったものをホテル化したというが、500を超える客室はすべてが60㎡以上の広さで、冷蔵庫内のドリンクやお菓子はすべて無料になっている。

王室が生活する王宮には、1700以上の部屋があり、高級車のコレクション7,000台のうち、3,000台がここの駐車場に置いてあるそうだ。

ツアーの中で、水上生活者の住居を見学したが、すべての家には国王夫妻と王室の記念写真が飾られていて、誰もが国王を崇拝している。

労働者の過半数は政府か王族企業に勤めており、ブルネイ王室という巨大企業の社員のようなもの。

つまり、国王が主なら、すべての国民は主に使える従者であり、僕等は従者たちにもてなされる客ということになる。

しかし、ほとんどすべての財源が石油に依存しているため、石油に頼らない産業の創出が急務となっている。

昨年ロイヤルブルネイ航空が成田に乗り入れたのも、7つ星と言われる豪華ホテルに一人1万円程度で泊まれるのも、日本からの観光客誘致のためだ。

だが、肝心のツアーガイドや観光客相手の店員たちはマレーシア国籍の中国人たちで、若いブルネイ人スタッフは上から目線で管理しているだけ。

結局このツアーでガイドをしてくれたのは、日本での技術研修などで身に着けた日本語を駆使するハングリーなマレー人たちだ。

コロナウィルス問題で中国系の観光客が締め出されているために、観光地がガラガラとなり、中国人担当のガイドたちも失業中だとか。

でも、イケイケの中国人たちより、少しケチだけど礼儀正しい日本人が好きと、彼らは言う。

そこで僕は、同じボルネオ島に暮らしているのに、ブルネイ人がうらやましくないのか、ブルネイ人になりたいと思わないのかと訊ねてみた。

すると彼らの答えは、「ブルネイの人たちは幸せだけど、みんな王様の家来だ。僕は苦しくても、貧しくても、王様の家来になりたくない。」だった。

今回の旅は、ボルネオ島の自然に触れたり、動物に出会ったりしたことはもちろんだが、王様を身近に感じ、豪華ホテルに泊まることこそが主な目的だった。

そして、そのどれもが新鮮で、とても楽しい経験だった。

だが、それだけのこと。

ジャングルで暮らしたいわけではないし、猿やワニと毎日会いたいわけでもないし、毎日豪華な部屋でごちそうを食べたいわけでもない。

まして、7,000台の車や1,700室の豪邸を持ちたくもないということが、はっきりと自覚できた。

より豊かになりたい・・・とは思うが、それは「豊かな状態」でなく、「豊かを求め続ける状態」でありたいということだ。

僕の無いものねだりとは、「無いものをねだる」でなく、「無いものをねだり続ける」ことだ、うん。