本当の未来

所有という言葉には、「持つ」という意味がある。

ここで言う「持つ」とは「手に持つ」ことであり、口や足で持つわけではない。

ちなみに口で持つことを咥えるといい、足で持つことを挟むなどという。

「手で持つ」ことの反対を「手放す」というが、「口放す」や「足放す」とは言わない。

つまり、「持つ所有」と「手放す所有」は、同じ「所有」を意味しているとも考えられる。

だが、果たしてこれが、所有の意味を説明していることになるのだろうか。

「手放さずにいる状態」を所有というのでは、生きることを「死なずにいること」と言っているようなものだ。

これで「所有とは何か」を説明できていると考えるのはおかしい。

確かに、生きていなければ死ぬことはできないのと同じに、所有していなければ手放すことはできない。

だが、「生死」の生は、「生きる」の生でなく「生まれる」の生だ。

「生まれる」ことによって「生きる」が始まり、「死ぬ」ことにより「生きる」が終わる。

これを所有に当てはめれば、「手放す」ことは所有の「終わり」であり、所有の「始まり」の「取得」こそが手放すの対義語となる。

「持っている状態」と「持つ行為」の双方を「持つ」という言葉で表現するから、こういう間違いが生じてしまう。

今、「死なずにいる」だけでなく「いかにして生きるか」が問われているように、「手放さない」だけでなく「いかにして所有するか」を、特に土地所有について、僕は問いたい。

始めや終わりのことでなく、何かをしている状態を説明するのは、その状態が何かを説明することだ。

何か(what)を説明するには、目的(why)と方法(how)を述べればいい。

例えば、「生きるとは何か」を説明するには、「何のためにどうやって生きるか」を説明すればいい。

同様に、「土地を所有する」を説明するには、「何のためにどうやって所有するか」を説明すればいい。

土地所有の目的はその権利()を行使することで、それは使用権・収益権・処分権の3つの要素から成る。

所有者自身が行使できるのはもちろんのこと、他人に許可を与えることで賃貸や開発なども自由に行うことができる。

そして、この所有権を使う目的は、人によってさまざまだ。

だが、ここで論じているのは「所有権」でなく、あくまで「所有」の目的であり、それは「所有権を行使するため」と言っていいと思う。

一方、「土地所有の方法」とは、土地の所有権を行使するためにしなければならないことを指す。

日本では、次の3つのことだと、僕は考えている。

一つ目は、市町村に対して固定資産税を納めること。

二つ目は、土地所有に関する法令を守ること。

そして三つめは、所有権の行使に伴うすべての責任を負うこと。

つまり、所有権という権利を行使するためには、これらの3つの義務を果たさなければならないという権利と義務の関係こそが、所有の目的と方法に対応している。

個人財産の所有を意味する財産権には、このような付帯条件は見当たらないが、土地や建物などの所有権は上記の条件を満たすことで国から与えられる権利だ。

つまり、「権利」もまた、国家が法律を定める「前提」となる権利と、法律で定めた「結果」としての権利という正反対の意味を持つ言葉ということが分かる。

土地所有権が人間として持って生まれた権利でなく、国家が与えてくれる権利だとするならば、固定資産税は土地の使用・収益・処分権に対する賃料に他ならない。

固定資産税を納付しないと、まず市区町村から督促状が送られてくるが、それでも納付しない場合は督促が繰り返される。

納税できる資力がありながら、納税しない所有者に対しては、通常財産調査が行われ、財産が差し押さえられる。

だが、固定資産税の場合は他の税とは違い、税の対象となる土地や建物を差し押さえ、その後公売にかけて滞納した税金に充てられる。

だがこのプロセスは、賃料を滞納する入居者に対する仕打ちとは全く違う。

家賃を滞納したからと言って、他人の所有土地を売却できるのは、借金を返済しない債務者の担保を売却する債権者と同じことだ。

さらにこの所有権は、個人名義の契約なので、名義の書き換え料もがっぽり取られる。

これは相続のことを指している。

土地を所有する気のない人が相続するのなら、売却した利益から税金を払えばいいだろう。

だが、ここで論じているのは土地を手放さずに所有し続ける場合のこと。

1905年に発足した相続税という名義書き換え制度は、何と日露戦争の戦費調達のためだった。

血縁による家族制度が破たんしているのは、天皇家を見れば明らかだ。

そのうえ、土地が値上がりし続ける神話は消滅し、全国で土地の放置と放棄が進んでいる。

土地を売った利益から税金を取るのでなく、税金を払うために土地を売るのは本末転倒だ。

しかし、こうした現状を俯瞰しているうちに、日本における土地所有の実像が見えてくる。

それは、「固定資産税相当の賃料を支払う、自己責任型の賃貸利用権」と言えるだろう。

つまり、たとえ自分名義で所有権登記をしていなくても、自己責任において自由に利用できる土地を、固定資産税程度の賃料で借りることができるなら、それは所有しているのと変わらない。

そこで僕は、永続的な土地所有を実現することを思い立ち、土地所有の法人化に取り組んでいる。

法人が国から永続的に土地を賃貸し、それを非営利で個人に転貸すれば、所有と同じ状態が実現するだけでなく、相続という名義書き換えによる分割や売却から防衛し、土地所有の質を高めることができるはず。

変わりゆく渋谷の町や、突貫工事の国立競技場は、未来の到来を感じさせるかもしれないが、そこに100年先の未来は何も見えない。

ぼくは、実現する「似非(えせ)の未来」でなく、まだ来ない「本当の未来」に挑みたい。