冬の雨

冬になるとバイク移動は寒いので、僕は中国サイトで購入した防寒具をつけて走ってる。

胸元からひざ下までをカバーするこたつ布団を、ハンドル左右のグリップを手袋のように包んで固定する。

4年前の年末に訪れた上海の町中で、電動バイクがつけて走っているのを見て、迷わず購入した。

以来、冬は布団に入りながら快適にバイク移動していたのだが、今年はまるで状況が違う。

それは、頻繁に降る「冬の雨」、せっかくの布団も雨に濡れると水を吸い、濡れて走るので格段に寒い。

自宅用の雨カバーを購入したのだが、外出中に雨が降ればそれまでのこと。

去年まで快適だったのに、今年はどうしてこんなに雨が降るんだろう。

近頃天気予報を見ていると、こんな「冬の雨」はどうやらこれまで経験したことが無いらしい。

豪雪地帯や北日本では、雪不足が深刻で、スキー場などにかなり影響が出ているように、雨量自体はむしろ少ないのに、雨の降らない日は記録的に少ないという。

それは、乾燥注意報が発令される日が、例年に比べ極端に少ないことでよくわかる。

火の用心、インフルエンザ、肌の保湿ケアなど、冬の乾燥が社会に及ぼす影響にも様々な変化が感じられる。

これまで日本の気候は、夏は湿度が高く冬は乾燥していたので、夏乾燥し冬湿潤なヨーロッパの気候と比較されたことを思い出す。

つまり今年は、ある意味で「ヨーロッパの冬」を経験しているのかもしれない。

それにしても、湿った冬がこれほど寒いとは、改めて今年の冬が教えてくれる。

暑さ寒さは「気温」で示すのが一般的だが、むしろ体感温度は湿度で決まる。

夏暑い日に汗をかいて、風に当たると涼しいのは、風の気温が低いからでなく、汗が乾くときに体の熱を奪うから。

考えてみれば人間の身体は主に水で出来ているので、体の熱は水が持っている。

暖かさや寒さとは、体表面の水の温度がもたらすのだから、空気中の水分は熱を直接体内に持ち込んでくる。

ドライサウナなら100度近くても大丈夫なのに、ウェットサウナは60度でも暑すぎると感じるのはまさにこのためだ。

フライパンで目玉焼きを作る時、少し水を加えるとあっという間に君まで白く変わっていくのは、ウェットサウナの暑さと同じこと。

雨の夜より天気の夜の方が、雲の保温効果がない分気温が下がり、吐く息も白くなるが、湿った夜の寒さの方が、体を痛いほど突き刺してくる。

こうして水のことを考えていたら、ふと空気の組成を思い出した。

空気は約8割が窒素と約2割が酸素で出来ていて、以下アルゴンが0.93%、二酸化炭素が0.03%と続く。

ここには水(水蒸気)が出てこないので変だと思って調べたら、あくまで「乾燥空気の組成」だという。

そこで、空気中の水蒸気比率を調べると、「最大4%程度になるが1%を下回ることもあり、場所や時間によって大きく変動するので、その影響を除くため、一般的に地球大気の組成は“乾燥大気”で表される。」というわけだ。

今、世界中で大問題となっている温暖化ガスとは、主に二酸化炭素を指しているが、この比率が0.03%なのに比べれば、1~4%で推移する水の存在はいかに大きいかがわかる。

このように「変動が大きいので空気の議論から除外されている」ということは、「変化の激しい概念は僕たちの世界観から排除されている」ことを暗示している。

このブログの写真が示す「分子の極性」とは、分子内の電気的な偏り(かたより)を示している。

水と油が混ざらないのは、水に極性があり油には極性が無いからで、水に何かが解けるのは、分子の極性同士が引き合ったり、さらにイオンに分解して混ざり合うことだ。

この性質が、液体と気体を自在に行き来する特性も生み出していて、それを代表する物質が地球では「水:H2O」だ。

他にも、身近な極性分子として「塩化水素:HCL」や、「アンモニア:NH3」があるが、地球上では強烈な脇役や悪役を演じている。

いちいち「地球上」と注釈するのは、他の星では塩化水素やアンモニアが主役の世界も有り得るから。

でも地球では、すべての生物体が水を主材料に出来ていて、水を介して栄養分や排せつ物を流通させ、熱エネルギーまでも媒介させている。

ある意味で、宇宙空間における地球の特徴・アイデンティティは、「水の星」なのかもしれない。

そんな大切な水が、変化が激しいので空気の組成に含まれない。

今日の気づきはこの点だ。

固定化し、数値化してから、メディアを介してみんなが共有する・・・という「情報化」のプロセスには、大きな限界と大きな抜け穴がある。

僕たちは誰もが世界の中心に居て世界を把握できている気になっているが、実は世界の片隅にいて見落とされ把握されずにいると考えるべきだろう。

だが、世界に把握されている窒素や酸素よりも、微少な二酸化炭素や無視されている水蒸気こそが僕たちの死活を左右する。

僕たちが直視すべきはテレビやメディアの世間話でなく、狭い地域の日々の変化の方だと、今日は改めて確信した。