「寄付行為」の意味(寄付が生み出す新たなビジネス)

駒場東大裏にある「ユナイテッドスクールオブ東京」というインターナショナルスクールは、借り切っているビルが手狭になったため、新たなキャンパスを模索している。

ひょんなきっかけで、僕はこの学校を立ち上げたNさんと出会い、サポートするご縁を得た。

そもそも学校法人となるには、施設を自己所有する必要があるが、都心で学校用地を所有するには莫大な資金が必要だ。

だがインターナショナルスクールは、たとえ学校法人となっても義務教育を担う学校とは認められず、各種学校として扱われてしまう。

そのため、この学校はこれまで無認可の株式会社で運営してきたのだが、僕はこうした経営姿勢を高く評価している。

だが一方で、僕は学校の設立や運営についてはずぶの素人だからこそ、学校法人化を安易にあきらめるべきとは思わない。

そこで、僕が評議員を務める学校法人の仕掛人TさんにNさんを引き合わせ、相談することにした。

Nさんは学校法人を目指すにはどんな方法があるのかをTさんに尋ねると、TさんはそもそもNさんが学校法人を本気で目指すのかと訊ね返す。

目的と手段のどちらが先か、これではまるで「にわとりとたまご」の押し問答だ。

「膨大な寄付を集める方法があるのなら法人化を目指す」と言うNさんに対し、「本気で法人化を目指さなければ膨大な寄付は集められない」とTさんは譲らない。

やがてこらえきれなくなったNさんが「そうは言っても、もしも莫大な寄付が集まらなかったらどうするんですか!?」と悲鳴を上げてしまった。

それに対し、Tさんはにっこり笑って「その困った状況こそが、寄付を集めるのに欠かせないんですよ!」と答えた。

興奮冷めやらぬNさんには申し訳ないが、僕はこの言葉に深くうなづいてしまった。

僕はこの時「寄付行為」という言葉を思い出した。(写真は日本相撲協会の寄付行為)

寄附行為(きふこうい)とは、財団である職業訓練法人、財団である医療法人、学校法人及び私立学校法64条4項に基づく法人(専修学校又は各種学校の設置のみを目的とする法人)において、法人である財団(財団法人)の設立者が・・・

1.その設立を目的として作成した、その財団法人の根本規則、又はそれを記載した文書・書面のこと。

2.法人である財団を設立する行為そのもの。

を指していた。

それが、2008年12月の社団法人および財団法人の一般法にあたる「一般社団・財団法人法」の施行により、一般社団法人と一般財団法人においては・・・

1.の意味(根本規則)については、現在は、社団法人と同じ「定款」と言う(一般社団・財団法人法152条)

2.の意味(設立行為)については、現在は、「財産の拠出」と言う(一般社団・財団法人法157条)

に変化した(wiki参照)。

寄付という言葉には、「善意」とか「見返りを求めない」などの高尚な意味を求めがちだが、単に「目的実現のためにお金を拠出すること」と考えるべきかもしれない。

つまり、目的実現のための方法に対する対価でなく、目的実現そのものに賛同と資金を集める起業であり、「どうやって集めるか」の前に、「何のために集めるか」こそが必要だ。

そもそもお金があるのなら、あえて集める必要などあるはずがない。

「お金がない、足りない」ことこそが集める不可欠な理由であり、それを伝えなければ寄付はあり得ない。

Nさんの「もしもお金が集まらなかったら」こそが、寄付集めのスタートだ。

お金を集める目的と、足りない現実を示さなければ、本当の寄付集めは始まらない。

だとすると、「寄付集め」はできるじゃないか・・・と僕は確信した。

僕たちがやるべきことは、「寄付を集めること」でなく「寄付集めを行うこと」だ。

その結果集まる寄付は、お金かもしれないし、賛同の気持ちかもしれない。

だが、最終的に目的を実現するのは、お金かもしれないし、そうでないかもしれない。

その結果社会が動けば、学校でない形で目的が叶うことだってあり得るのだから。

行動あるのみ!