生き物と機械

笑恵館で法人登記するご縁で知り合ったWさんにすっかりお世話になり、僕は左ひじ骨折後のリハビリに取り組んでいる。

先日、このリハビリが骨折でなくその治療による障害を治療していることに気付き、新たなギブス開発の必要性について論じたが、Wさんはこんな話にも付き合ってくださるので、リハビリに行くことが楽しみだ。

今回のリハビリには大きく分けて2つの目的があり、第1には腕の可動域を回復すること、そして第2に運動機能を回復すること。

まずはひじ周りの筋や筋肉が癒着したり繊維化して固まらないように、曲げ伸ばしのトレーニングを行う第1の治療は、ギブス固定の日から2か月以内と目標を定め、7月上旬を目指して頑張った。

そして今は、動きに伴う痛みや違和感を一つずつ取り除いていく第2段階の最中だが、また新たなことに気付いたので、今日はそのことについて書いてみる。

Wさんの治療法は、患部に電流を流し温めながら行うが、基本的には揉む・押す・引っ張るを組み合わせた「手作業」の施術だ。

手順としては、まず腕をある方向に動かして、そこで生じる違和感や痛みを申告することから始まる。

そして、その症状に対応する治療を行って、再度同じ動作で変化を確認し、次の治療を施すことの繰り返しだ。

痛みや違和感と言っても初めのうちは漠然としていて、どのように申告すればいいのかわからないが、この手順を繰り返しているうちに、次第に僕自身が痛みの場所や種類を区別できるようになってくる。

この作業を繰り返しているうちに、痛みの種類や強さが変わるのを感じ取れるようになり、それを申告することで、Wさんの手が次第に急所を突くようになってくる。

そしてついに、一つの痛みが取れたことに気付く瞬間がやってくるのだが、それと同時に新たな痛みや別の違和感が出現する。

つまりこれは、単純に快方を目指すのでなく、複雑に交錯する症状を一つずつ探りながら治療する、まさに試行錯誤のプロセスだ。

こうした施術と問診の繰り返しは、僕にとっては身体中の感覚を研ぎ澄まし、そこから発信される信号を正確にとらえる作業だ。

1つの痛みが薄まることで別の痛みの存在に気付いたり、1か所と思っていた痛みが複数個所から生まれていることに気付いたりと、情報から気付きが生まれるのは思考のプロセスによく似ている。

たった3~40分でこれほどたくさんの気づきに出会うほど、密度の高い思考はなかなかできない。

僕にとって、このリハビリが至福の時とさえ思えるのは、僕の脳が活性化し、喜んでいるからだ。

だとすれば、Wさんの行為には、思考を加速し気づきを生み出すヒントがあると思う。

もしかするとWさんのおかげで、僕は「すでにそういう行為をしている自分」に気付いたのかもしれない。

そしてもう一つの驚きは、このリハビリで身体が直っていくことだ。

揉む・押す・引っ張るの治療法で、機械を直すことはできないが、人間の身体はそれで直るようにできている。

あたかも、適切な刺激を与えれば、自ら治療し再生するようにできているようだ。

脳を中心とした神経系というか、情報システムが全身を繋いでいるとしか考えられない。

でも考えてみれば、生き物の身体に無駄な部分などあるはずはない。

人間は、脳というコンピュータが5感の機能を備えた身体という乗り物に乗っているロボットでなく、体全部を使って環境に適応する「生物」であり、より複雑に進化した細菌や虫に過ぎないと思えてきた。

という訳で、今日の気づきは「僕たちは生き物」ということだ。

生き物と機械をごちゃまぜにせず、全く違うものとして考える必要がある。

どんなに生き物のような機械でも、それは単純な道具に比べて複雑なだけで、決して生き物ではない。

機械はいじめたり侮辱しても壊れないが、揉む・押す・引っ張るでは治らない。

だが、人間は生き物だからその逆だ。

だから、機械に出来ることは、人間のやるべきことではないと考えたい。

AIやロボットが人間の仕事を奪うと言われるが、そもそもそれは、機械がやるべき非人間的な仕事だったのだと思う。

非人間的なことをやる辛さに対する報酬を、仕事と勘違いしていただけのことかもしれない。

むしろ大事なことは、人間がやるべきことを、生き物たちから学ぶことだと僕は思う。

それは、すべての生き物がやっているのに人間が怠っていることだ。

それは何かを語りだすと長くなるので、今日はやめておく。

言いたいことは、機械から学ぶのでなく、生き物や自然から学ぶこと。

頭だけでなく身体全部を使って学ぶことに僕はこだわりたい。