シェアと共有

地主クラブとは、土地の所有権を活用できずにいる地主が仲間を募り、所有権を分かち合う取り組みのこと。

笑恵館クラブや名栗の森オーナーシップクラブは、いずれもこのコンセプトに基づいている。

しかし、ここで言う「分かち合う」とは共同所有のことであり、シェアリングとは意味が違う。

今日はこのことについて、少し考えたい。

 

シェアとは、配分とか比率という意味を持ち、「分かち合う」という言葉にふさわしい。

ワークシェアやカーシェアのように一つの物事を時間で分け合ったり、シェアハウスのようにスペースを分け合うなど、一つのものを細分化することで使用効率を高める考え方だ。

一方、共有とは細分化せず複数の人が共に所有すること。

もちろんシェアする使い方も含まれるが、みんなで一緒に使うこともある。

だが、それ以上に違うのは、自分で使う以外の所有権も共有することだ。

 

例えば、他の人に又貸しするとか、それで収益を得るとかは、シェアの範囲を逸脱する。

シェアとは基本的に物事を分け合うことなので、収益についても分け合うのがシェアの基本だ。

物事は分割可能だが、権利は分割できない。

シェアメンバーはシェアハウスを「自分の家」とは言えないが、家族なら例え子供でも「僕の家」と言える。

所有権の共有とは、まさに「家族」の関係を意味することになる。

 

「家族」と言えば、普通は親子などの血縁関係を意味するので、共有が「家族」を意味すると言っても違和感を感じるかもしれない。

だが、「家族」の中心である夫婦は血縁の無い赤の他人だし、子どもが生まれなければ養子を迎えることもある。

むしろ「家族」とは、「財産を共有し引き継ぐための組織」と言い換えた方が正しいのではないかと僕は思う。

 

そもそも地主クラブを思いついたのは、地主が孤立しているから。

空き家や放棄地などが増えるのは、いずれも地主の後継者がいないせいだ。

だが、後継者とは家族のことであり、土地の継承には家族が欠かせない。

昔の地主にとっての家族とは、後継者を育てる家制度という仕組みだったのが、今では財産を共有する血縁者組織となっている。

 

土地や家も単なる財産となり、所有者が亡くなれば相続人に分配されるが、これは財産のシェアでなく分割だ。

シェアとは1つの財産を分割せず、臨機応変に分け合うことに意味がある。

だが、財産は結局分割され、配分されてしまい、使いづらいこま切れ状態になってしまう。

 

共有とは、一つの物事を分かち合うだけでなく、みんなが持ち寄ってまとめることでもある。

かつて領主や地主が統治していた土地が、相続や売却によって細分化されたのが現状だ。

それらの土地は、さらなる分割配分のために売却され、使い道のない空き家が増え続けていくだろう。

だが、今必要なことは分割や配分でなく、連携や共有によって新しい地域社会を生み出すことだ。

住みやすい地域、商売しやすい地域、子育てしやすい地域などを作ることを「国づくり」と僕は呼ぶ。

 

お金でなく、権利こそが財産だと僕は思う。

換金せず、モノの状態で分かち合う「シェアリング」は素晴らしいが、モノでなく所有権そのものを分かち合う「共有」の実現を僕は目指したい。

そして、共有する仲間を作ることで、崩壊した家族を再生し、持続可能な社会を目指したい。