ブログの役割

4月17日の顔面負傷のおかげで4/25まで仕事を休み、その後GWに突入してしまったので、結局5/6までの18日間も時間ができてしまった。僕の人生の中で、こんなに長い休暇は大学の卒業旅行以来のこと。会社が倒産した時でさえ、これほどまとまった時間を「おとなしくしてなさい」などと言われることはなかった。怪我は顔面なので、お見苦しい状態の上に外出や運動は禁物だが、頭も体も異常は無く、むしろやる気満々だ。そこで僕は、「地主の学校」の出版と、「SHO-KEI-KAN展Ⅴ」の準備に充てることにしたのだが、結論から言えば、これは大失敗に終わった。原稿はまるで進まず、展示の企画もぐちゃぐちゃで、ついに連休の最終日の今日は、今後の進め方を決めなければならない。

 

今回思い立った「地主の学校」という言葉は、それを初めて聞いた人が感じることと、僕が伝えたいことが重ならなければいい言葉とは言えない。僕がこの言葉に飛びついたのは、そんなものはこの世に無いからであり、多くの人がそう感じてくれるのではないかと思ったからだ。もちろん僕はすでに新しいことに取り組んでいて、それを知っている人が「地主の学校」をふさわしいと感じて欲しい。だがそれ以上に、僕を知らない人が「地主の学校」と聞いて興味や疑問を持ち、僕に連絡をしてきて欲しい。だとすれば、僕はこの2点に関する確認作業に取り掛かりたい。明日お目にかかる出版社関係の方にこの点を訪ね、10日の運営会議でメンバーたちの意見を聞こう。

 

「地主の学校」は、日本土地資源協会の活動のキャッチコピー候補でもある。設立当初は「空き家の無い社会を目指して」としていたのを、後に「空き家を生まない社会を目指して」に変更したのは、活動の対象が「空き家」ではなく「社会」であることに気付いたからだ。だが今回「空き家」も「社会」も取りやめて「地主の学校」に変更しようと考えているのは、「空き家」が当協会のすべてを含む概念ではないからだ。僕は昔「IID世田谷ものづくり学校の校長」を務めたが、「学校」と「校長」という言葉で全ての事業を説明できた。したがって、日本土地資源協会という堅苦しい団体の目的を「地主の学校」というイメージで表現するのも有効だとしても、「地主の学校」は団体を包含するべきであり、協会の活動のうち「地主の学校」に含まれないものは除外すべきだろう。

 

当初、事業イメージとして使い始めた「地主の学校」という言葉は、やがて実際の学校として期待されるようになるだろう。今回の展示企画において、この点をどう説明するか悩んでしまった。今僕が育てようとしているのは、場所を活用する新しいビジネスを生み出し、それを運営する仲間を新しい家族にして、自ら地主として地元の地主と連携していく人たちだ。明治初期、全国には7万を超す町があったのだが、現在1,700程度の市町村に統合されている。当時はエネルギーや食糧は全て自給自足な上、政府からの交付金や補助金は皆無ですべてが自給自足で生きていた。ところが現在はエネルギーや食糧もふんだんで豊かな社会が実現したが、ほとんどの地域が補助金付で自給自足は程遠い。失われた「昔の良い面」を応用して未来を創る人たちを、すでに古びて滅びかけた「地主」と名付けることで、温故知新をイメージしたいと僕は思う。

 

こんな感じで、たった一つの言葉を巡り、様々な疑問や課題が次から次へと湧き出して、僕の頭を駆け巡る。いつもなら、日々忙しいので時間を区切りてきぱきと結論を出すのだが、今回何と18日間も時間ができたので、すっかり迷走してしまったようだ。だが、失敗だけでなく成功にも疑問を持ち、その過去を検証する「温故知新」という発想はこの迷走から生まれたもの。こうして立ち止まり自分を客観視することで、迷走の無駄と価値の双方を確認できたのは、僕にとって心地よい。だがこの客観視は、日常作業の範囲外であるブログだからできること。毎週ブログを書く僕が先週さぼってしまったのは、まさに作業に埋没し迷走していた証拠だろう。僕にとってのブログの役割は、毎週発行というエンジンと、自分説明というハンドルなのかもしれない。