大晦日の意味

2018年の元日は月曜日ということで、今年のブログは元日からスタートしようと思ったのだが、大晦日を迎えてもまだ、なぜか来年のことをまじめに考える気がしない。確かに区切りではあるけれど、1月1日になったからと言って何かが変わるわけではないと、先日結婚記念日のことを書きながら思ってしまったせいかも知れない。毎年何も疑うことなく浮かれているけれど、そもそも年越しとは何なのか・・・ふと気になってしまったので、今日はちょっと大晦日について振り返ってみたいと思う。

 

大晦日という慣習は、日本文化に古くからある「歳神様」(としがみさま)、または「歳徳様」(としとくさま)への信仰に基づく儀礼から生じており、これらは歳徳神などとも呼ばれるその年一年間を司る神様に由来するという。年の初めから来られるため、「正月様」(しょうがつさま)とも呼ばれるこの神様は、神社のような宗教施設ではなく各家々に訪れると信じられていたため、自分の家にお迎えし食事を共にしたりするために大晦日から「年籠り」(としごもり)をして元旦も家で過ごすことが一般的であったという。また、この神様は年によって来られる方向が異なり、その方角を「恵方」と呼んだ。そのため、元旦には恵方にある近所の神社へ参拝する恵方詣りをすることもあるという(wiki参照)。

昔の大晦日は今の節分、元旦は立春に当たるので、これらの関係は判りやすい。

 

後に歳神様が家に来られるという観念がほとんど無くなり、一般庶民が正月三賀日などに神様に願いを伝えるためにこちらから神社へ参賀する「初詣」を行うようになっているが、そのきっかけは、明治20年代に官公庁から始まった元旦に御真影を拝む「新年拝賀式」と、1891年(明治24年)の「小学校祝日大祭日儀式規定」により元旦に小学校へ登校する「元旦節」などを経て、関西の鉄道会社が正月三賀日に(恵方とは無関係な方角の)神社へ初詣を行うというレジャー的な要素を含んだ行事を沿線住民に宣伝しこれが全国にまで広まったことで、年籠りという習慣は次第に失われたとされる(wiki参照)。

やはり、いつの時代も文化・風習はビジネスと密接に関係しながら、社会に根付き変化をもたらす。

 

日本の平安時代に行われていた大晦日の宮廷儀礼の1つに「鬼やらい」とも呼ばれる「追儺」(ついな)がある。年の変わり目という最大の節分において、「鬼」で表現される良くない何かを追い払うために方相氏(ほうそうし)と呼ばれる恐ろしい扮装・いでたちの導士によって執り行われる古い行事であるが、これが後の節分行事に変化したとされる。恐ろしい姿の演者としては、日本の郷土文化として大晦日や旧正月などに「なまはげ」などが行われている(wiki参照)。

昔の「数え年」と言う風習は、生まれた年が1歳で、その後年が明けるごとに年齢が増えていく。つまり年取りとは、すべての人が正月に一斉に神様から1つ年をもらうことだった。子供たちはよい子にしていないと神様=鬼から年をもらえない。この神様への供え物がお年玉で、年をもらえた子供たちがそのお下がりをもらえるのだそうだ。

 

「年を取る」ということを、「小さな子供たちが良い子であったかを恐ろしい年神から判定され、そのご褒美に年玉をもらう」という形にすることで、それが伝統として引き継がれる。子供たちはやがて成長し、鬼を恐れることも無くなるが、やがて子どもの親となり、自分が鬼となって子供を嚇すようになる。ちなみに、鬼が「牛の角を持ち虎のパンツをはいている」のは、丑寅(うしとら)の方角が鬼門(東北)だからで、その鬼を退治するサル・キジ・イヌは、申・酉・戌で西を指すという。様々な慣習や信仰から派生した営みが文化となって、世界のいたるところで引き継がれた結果として、今の世界がある。

 

そんなことを思いながら、あとしばらくで元日を迎える。単に地球が太陽の周りを1周するだけのことなんだけど、次の1年を誰もが良い年にできますように。