年寄りはなぜ昔を語るのか

先日、不動産ファンドを運営するK社の新社屋移転のお祝いを兼ねて、旧友のK君を訪問した。

今でこそ巨額のファンドを運営する堅実な会社に成長したが、この20年の間、彼が様々な苦境や危機を乗り越えてきたことを僕はよく知っている。

もちろん今回彼を訪ねた僕の下心は、ソーシャル不動産プロジェクトと不動産投資家の接点を模索することにあり、「不動産投資家の中には単なる収益目的の人ばかりでなく、自らの資産の新たな投資価値を模索している顧客もいるのではないか」という質問をぶつけてみた。

だが、残念ながら彼の答えは否定的で、「恐らくそういう資産家は少なからずいるとは思うが、乱暴に言えば、当社の顧客は大口の機関投資家と小口の不動産リートで、不動産を金融利回りとしか見ていない。」とのこと。

そこで僕は、このビジネスを盤石にしている「超低金利政策」が終わった後、K社はどんなビジョンを持っているのかと尋ねてみた。

この質問に対し、K君は「もちろん金利の変動は想定しなければならないが、同時に様々な要素が変動するので、ビジネスモデルはしないと考えています。」と胸を張った。

だが・・・「高金利に移行すると経済全体がどう変化するのか、本音を言うと僕にはわかりません。何しろ僕は、このビジネスを始めてから低金利の世界しか知らないんです。」と続けた。

僕はこの答えを聞いて、寒気を覚えた。

彼の言うことは至極もっともで、日本はバブル崩壊後の1996年から今日まで20年にわたって超低金利状態が続いている。

もちろんK君は世界を歩き、各国の機関投資家を相手にしているのだから、高金利という状況を知らないわけではないと言う。

だが、自分の暮らす社会の金利が上がり、インフレになるということを実感できないという彼のつぶやきは、紛れもない本音に僕には聞こえた。

これまで幾度となくこのブログでも書いてきたが、日本政府の財政破綻は超低金利と高額所得者たちの蓄財により先延ばしされ続けている。

だから僕は来るべき破たんを想定し、「低金利やデフレからの脱却」とか「高金利やインフレ経済を生き抜くには」などと叫んでいる。

だがしかし、「低金利とデフレしか知らない世代」が着実に台頭しているのが現実だ。

僕がこれまで、年配者たちから「を知らない世代」と呼ばれてきたのと同じように、僕が彼らを見て憂う順番が回ってきたのか。

おりしも平成天皇の退位が決定し、再来年には平成の次の元号が発布され、僕ら昭和生まれは、僕らから見た明治生まれのような「2世代前の人」になる訳だ。

「昔のことを次の世代に伝えたい」と、今日僕は、生まれて初めて思った。

様々な物価のこれまでの推移を調べると、その上昇もまた1996年に見事に止まっている。

その前の30年間でバスの初乗り運賃は15円から200円に値上がりした。1966年は僕が9歳になり、だいぶ世の中が判ってきたころだ。

うる覚えだが、当時ラーメン70円、少年マガジン50円、映画450円、大阪万博の入場料が子供400円だった。

物価指数は1950年を100とすると、1966年は約200で、1996年には800を超え現在までそのまま横ばいだ。

サラリーマンの給料は定期昇給とベースアップの2段構えで上昇していたなんて、今では考えられない仕組みだ。

そして1996年、僕は世界初のハイブリッド車「プリウス」を買ってご機嫌で、「21世紀に間に合いました」というキャッチコピーも最高だった。

まさかその年を境に、物価も給料も凍り付くデフレ時代に突入するなんて、誰だ予想しただろうか。

デフレ時代になる前は、「金利」がもっと身近な存在だった。

1990年ころのピーク時には、銀行の普通預金には2~3%の利息が付き、定期預金金利は6.5%を超えていた。

僕が29歳の時(1986年)に小さな家を買った時、住宅ローンの固定金利は6.48%だったのを覚えている。

借金をするときは必ず複利計算をして、返済総額を計算した。

6.48%で30年なら1000万の借金に対し概算で64.8万×30年/2=972万円の利息が付くので、返済額が借り入れの約2倍になってしまう。

だから僕は、必死になって10年返済のローンを組んだ。

もしも金利が1%なら、1000万円の借り入れに対する返済総額は、1000万+10万×30年/2=1150万円だ。

これを30年=360ヵ月で割れば、月額3.19万。ボーナス払いを併用すれば家賃より安く購入できるからくりだ。

1990年当時、僕の会社もご多分に漏れず「財テク」に走り、オーストラリアドルの預金を持っていた。

当時オーストラリアの預金金利は10~12%で、6年で2倍になる計算だった。

借入金利はもっと高いわけで、一体誰がそんなお金を借りるのかと思ったら、銀行融資は1月単位、長くても3か月返済だと知って驚いた。

だが、借金とはそういうモノ、困ったときに必要な期間だけ借りて、さっさと返すのが借金だ。

銀行融資は年利12%でなく、月利1%という感覚だったのだと思う。

その上、お金の価値はどんどん下がっていくので、お金は増やさなければ減っていくのに等しかった。

だから人々はお金を貯えるより、増やし生み出すことに夢中だった。

それが経済の原動力になっていたのだと、今だからわかる気がする。

結局デフレ経済の現代は、お金の価値が下がらない時代なのだと思う。

その結果物価は上がらずに、変わらない。

お金さえあれば、何年も先まで見通しを立てることができる「お金で人生設計をする時代」だと言える。

だが問題は、それが僕たちにとって良いことなのかということだ。

少なくとも日本だけがこのバランスを維持するために、増税せずに借金(赤字国債)を積み重ね、日本という信用にあぐらをかいて、円という紙切れを増刷し続けている。

だが、その中で20年を過ごした人と、この思いをできそうにないのは、戦争を体験した人たちと僕たちの間にあるギャップと同じだろう。

昔を伝える責任を感じることが、年を取るということなのか。

今日は、これからおじいさんになっていく自分と出会ったような、不思議な気分になっちゃった。