行動から思いつくこと

11月は、11日間にわたり古民家の活用事例を見て回った。当初リストアップした216件のうち、訪問できたのは174件で、まだ西神奈川や千葉エリアなどが残っているが、調査はこれで一区切りとし、今日はその結果を簡単に総括したい。そもそも僕は何を探していたのか。それは、「古民家の背後に所有者あり」という仮説を確認するためだ。古民家には所有者が培ってきた良質な空間環境、所有者にとって捨てがたい価値、そして所有者ならではの自由な利活用がなされているからだ。仮に利用者がテナントであれば、古民家につきまとう「取り壊し・立ち退きのリスク」を防ぐには、所有者との関係づくりが欠かせない。だから古民家ビジネスは、何らかの形で所有者が関与しているに違いない・・・という訳だ。だから、この調査は「たとえ建物が古びても、その利活用を諦めない所有者を探す旅」と僕は考えた。

 

判ったこと① 古民家分布のばらつき

Web検索で「古民家 活用、カフェ、ショップ、レンタル」などのキーワードで抽出した事例のうち、今回は、都内全域と神奈川東部、埼玉南部エリアを探索した。途中の町並みや、周辺の雰囲気を体で感じられるよう、世田谷の笑恵館を起点に原付バイクで走り回ったのだが、そもそも古民家の分布にはムラがあり、活用事例の地域における存在意義も様々だと感じた。例えば、鎌倉や青梅など歴史的な街並みが広範囲にわたって現存するエリアでは、調査対象以外にも数えきれない活用事例が存在する。というか、それが当たり前のようになされたからこそ、今の町並みがあると言えよう。また、旧街道に沿って古い町並みが残るエリアなどでは、たとえ事例がわずかでも、周囲を含めた可能性が感じられる。そして、開発が進み、わずかに残った活用事例では、むしろ希少な空間として、人々を魅了している。一方、データからは除外したが、ベッドタウンと言われる新興住宅地には、そもそも古民家が存在しない。高齢化が進む中、駅前のビルの一室で運営中のコミュニティカフェオーナーが、「古民家がある町がうらやましい」と言っていたのが印象に残る。

 

判ったこと② 施設の開放性

さて、今回の調査方法は、古民家の利用者を訪ねて「あなたはこの土地建物の所有者ですか?」と尋ねることだった。「あんたは何者だ、何の権利があってそんなことを聞くんだ」と、行く先々で叱られるのだが、「日本土地資源協会」とか「笑恵館」とか説明しながら、根気よく粘り続けた。だが、そうしたやり取りができたのは全体の25%程度で、残りは施設が閉まっていたり、スタッフに追い返されたりで、答えだけは聞いたもののそもそもまちづくりとは程遠い閉鎖的な商業施設だった。今回、所有者主体の活用事例を探しているのは、それが単なる収益目的でなく、自由な交流を促進する開放型の運営につながるものと考えたからだ。だが、少なくとも冷やかしの僕を優しく受け入れて、事業の説明をしてくれるような施設は全体の4分の1に留まり、残りは「そんなこと見ればわかるだろ」的な施設だった。

 

判ったこと③ 所有者との関係

こうして調査を終えてみて、施設運営者と所有者の関係は次の3つに分類することにした。

  • a.オーナーとは、運営者や経営者が土地オーナー本人若しくはその家族の場合。
  • b.協力とは、運営者がオーナーから直接賃貸し、協力または支援する関係の場合。
  • c.テナントとは、運営者とオーナーとの間に仲介業者が介在し、双方に面識も協力関係も無い場合。

そしてその割合は、「オーナー:25%、協力:14%、テナント:59%」ということが判明した。ささやかな調査なので、この数字から何かを断定する気はないが、感じたことは述べておきたい。まず、今回の調査はweb発信情報に基づいているので、発信できていない事例=個人所有者の関与はもっと多いのではないかと推測する。もう1点は、協力関係が少ないことで、「相続や土地壊しなどで何時退去させられるかわからない」というリスクに甘んじているテナント事業者が大多数という印象を受けた。

 

以上、今回調査のまとめを振り返ると、当初の疑問や仮説に対し判った③の他に、①や②のような調査の過程で新たな疑問と気づきが浮上したことがわかる。そもそも古民家が「土地資源の有効活用の証」なら、古民家が数多く残るエリアには何があるのか。そして、顧客以外の来訪者を拒絶する閉鎖的な施設に、そもそも新規性があるのか、そしてそのための自由が必要なのかということに、僕は疑問を持つようになった。確かに「見るからに魅力的で、料金を支払ってでも入ってみたい施設」であることは、施設運営にとって有利なことだ。だがそれは、僕が求めていることとは少し違う。僕が求めているのは、「見るからに何かできそうなので、まずはタダで入ってみたい施設」だと思う。決まった料金を支払うのでなく、新しい一歩を踏み出す場所でなければ「無から有」は生まれない。「新しいこと=行動から思いつくこと」と言ってもいいんじゃないかと、僕は思う。