石を積む

突然「石を積む」と言われても、あなたには「何のこっちゃ」だと思う。今日は、名栗の森オーナーシップクラブの11月例会に参加して、3つの「石を積む」を体験した。一つ目は、山道の途中にあるご神木の周辺整備。二つ目は、名栗湖を堰き止める有馬ダムの石積。三つめはその下流の名栗河原で体験したロックバランシング(石積みアート)。一見、何の脈絡もない体験だが、これらを通じて様々なことを考え、三つが奇妙に絡み合う、そんな今日の体験をここにまとめてみたい。

 

名栗の森オーナーシップクラブとは、埼玉県飯能市の西部に位置する旧名栗村にある人造湖「名栗湖」の南側に隣接する15ヘクタールほどの山林を、長年にわたって放置してきた所有者が、仲間を募ってその利活用に挑むプロジェクトだ。山林を貸すのでなく、全員が所有者として参加するので「オーナーシップクラブ」と命名し、昨年10月の発足からちょうど丸一年が経過したところだ。初年度はとにかくこの森の1年=春夏秋冬を体験しようということで、毎月第4日曜日に現地で例会を開催し、森の変化を体感した。森の中を通る「関東ふれあいの道」は、棒の折山登山の白谷沢ルートと言われる人気コースで、平日でも頻繁に登山者が通り抜けていく。冬になるとシカやイノシシを追ってハンターたちもやってくるし、クラブの仲間もマムシやツキノワグマに遭遇するなど、奥武蔵山系のほんの入り口だが、十分に「山」を感じることができる森だ。

 

登山道を5分ほど歩くと、道の脇に杉の巨木が現れる。地元の人たちが「ご神木」と呼ぶこの樹の袂には、朽ち果てた社(やしろ)の残骸が転がっていて、活動を始めた当初から気にはなっていた。森の一年を見守るうちに、その思いは次第に強くなり、2年目の活動は、「まずご神木の周辺整備から始めよう」と誰ともなく言い出した。これに対し、「そもそもご神木とは何なのか」、「僕たちはなぜここを整備したいと願うのか」、と素朴な疑問が湧いてきたのだが、「僕たちが持ち主だから」という根拠の無い答えがとても心地よく、みんなの意見はすぐにまとまった。だが、「ただ何かを祀りたい」では具体案が決まらない。行き詰まった9月の例会で、僕らは少し開き直り、近所の上名栗地区スタンプラリーに参加して集落を探索した。ひっそりとたたずむお寺や神社。こじんまりとした集落に立ち並ぶ古民家を訪ね歩くうちに、ふと足元にある石積みに気が付いた。そうか、人里の環境整備は石積みだ。

 

というわけで、ご神木の足元を石積みで整備しようということに意見はまとまった。石はもちろん、現地にある石を使い、登山道からご神木を見上げた時に何かを供えたくなるような基壇を作りたい…と漠然と考えて現地に向かった。「登山道に石が無ければ、下の沢から運べばいい」と安易に思っていたけれど、いざ歩き始めると、そこここに岩がごろごろと転がっていて、一同まずは一安心。足元に転がる「ただの岩」が、こんなに愛おしく思えるなんて、想像もしなかった。石集めは後回しにしてまずはご神木の元にやってきて、石積みを作る場所選びにひと悶着した後、スコップ持参のYさんをリーダーに、石集めと石積作業が始まった。そのあたりに落ちている石を拾い集め、それを積むだけのことなのだが、通りすがりの登山客からの好奇の目線を意識しながら、一同どこか誇らしげに、作業に打ち込んだ。それは明らかに「所有者だから許される特権」を意味していた。

 

出来上がってみれば、ほんのささやかな石積みで、通りすがりの人には気付いてもらえないかもしれない。でも、僕らにとって、初めての造営は完成した。みんな誇らしげに山を下り、名栗湖を堰き止める有馬ダムの堤で日向ぼっこをしながら弁当にありつくことにした。有馬ダムは、ロックフィルダムという工法で作られており、岩石を積み重ねた表面は、自然石が整然と石垣のように並んでいる。今しがた、ささやかな石積み工事をしてきた僕らにとって、この壮大な工作物は神の仕業にも思えた。僕らが6人がかりで1時間かけた作業量に比べれば、ここからの視界に見える様々な石積みがすべて偉大な仕業に思える。ビジター参加してくれたSさんから、「奥出雲のたたら製鉄の採掘跡が棚田として利用されている」なんて話を聞くと、ダンプもブルトーザも無い時代の人々の営みのすごさがひしひしと感じられた。

壮大なイメージをしながら日向ぼっこをした後、今度は趣を変えて河原に降り、石積み遊びをみんなに教えた。これは自然の石をいかに不自然に積み上げるかを楽しむ「ロックバランシング」という一種のアートで、ちょっとしたコツを覚えれば誰でも上達できるし、ハマってしまう。案の定、今日のみんなはたちまち夢中になり、子どものようになってしまった。小さな石の上に大きな石が乗っていたり、三角の石が旗のように立っていたり、「不自然とは何か」を競い合う不思議なゲームが先ほどのご神木の石積みを思い出させた。道行く人に気付いてもらいたい、ご神木への思いを形に表したい…という欲求は、結局「自然の中に不自然をどう作るのか=アート」ということにつながる。借り物は元通りにして返さなければならないが、所有者はそこに何かを創り、残すことが許される。

「賃貸でなく、所有することで世界を創っていく」と、今日も僕の主張につながる「落ち」でした。