土地問題の「無から有」

先日、兵庫県H市にある「どうしようもない土地」の相談を受けた。約6,000㎡の休耕田の一角に築100年を超える古民家が建っているのだが、リフォームはもちろんのことシロアリの駆除費用も捻出できないため、このままだと朽ち果ててしまうという。それを承知で、助けていただけないだろうかというメールに、僕は二つ返事で快諾した。所有者の「お金が無い、為すすべがない」に加え、僕だって「有ったことも無い人」から「行ったことも無い」場所を相談され、「行ってみる時間も無い」と無い々づくしだ。だが、まさにそれが僕にとってはとても魅力的に見えた。

 

僕は「どうしようもない」が大好きだ。「一見どうしようもないこと」を何とかするのもいいが、「本当にどうしようもないこと」を何とかするのが面白い。それはどこかで、価値観や世界観を変えること、つまり「どうしようもない」と考えている自分自身を変える必要があるからだ。実は、相談者には希望があり、それはこの古民家や休耕田が観光や交流施設として活用されること。そのためには施設をきれいに整備し、人々が利用したくなるようにしなければならないが、自分にはその資金が無い。所有者の願いに賛同する人はいなくはないが、自分で資金を投じてまで協力するとは思えない。藁をもすがる思いで助っ人探しをするうちに、内閣府のホームページで僕を見つけたそうだ。「ご活動のおり、何かのお役に立てていただけそうであれば、ひと言、お声をおかけください。」との申し出は、僕にとってはストライクだ。僕は依頼者の願いを叶えるのでなく、僕自身の活動に役立てることで答えればいい。

 

お金さえあれば、何でも作れる。斬新な設計をし、立派な施設を建設すれば、魅力的な施設ができるだろう。そしてはじめのうちは、人々が訪れ、繁盛するかもしれない。だがそれはいつまで続くのだろうか・・・と僕は考えてしまう。「そんなこと言ってたら、何もできないじゃないか」と言われるかもしれないが、僕は現状を見てそう言わざるを得ない。つまり、そもそも古民家と田畑は、なぜ捨てられてしまったのかということを。ここで求められていることは、「施設が活気づいて成功すること」でなく、「捨てられずに持続すること」ではないだろうか。「他のモノ」なら、必要に応じて作ったはずがいつしか使われなくなり、捨てられていくのは仕方のないことだが、「他ならぬ土地」もそれでいいのか。いつまでも無くならずに使い続けることができる「土地=空間」がいらなくなるなんて、それ自体が間違っているのではないだろうか。

 

チョット脱線するが、「何もない」ということを説明するのは案外難しく、むしろ「何かある」と考える方が合理的だということは、科学の歴史が教えてくれる。まだ昔地球が平らだと考えられていたころ、海の端は滝になっていて、世界は4匹の像が支えていた。だがその向こうは何なのか、像は何に乗っているのか・・・と考えるとさらに謎は深まるばかり。「何もない」とは、「考えても無駄」を意味していた。だが現代では、元素や素粒子の間・真空と呼ばれる部分は「何もない」のでなく「何かで満たされている」と考えられている。科学者はそれを「ダークマター(暗黒物質)」や「ダークエネルギー」と呼び、2013年3月、欧州宇宙機関はプランクの観測結果に基づいて、ダークマターは26.8%、ダークエネルギーは68.3%、原子は4.9%と発表した。僕たちが判っているのは「4.9%」、これが宇宙科学の現状だ。

 

話を「宇宙」にまで広げなくても、「世界」を見れば十分だ。日本の空き地は、これから世界中から狙われるようになる。僕たち日本人が、こんなに安全で豊かな土壌を持つ国土を「要らない」というのなら、欲しがる外国人はいくらでもいるだろう。きっと彼らなら、もっとどん欲に土地を使って生きるだろう。だが、僕たちは外国人に国土を明け渡す気など毛頭ない。だがこのままでいくと国土の荒廃は止まらない。それは、国土全体を保全するよりも、そこから目先の利益を得ることが優先しているからだ。施設でも地域でも国全体でも、「活性化すればなんとかなる」という発想が蔓延しているように僕は思う。気が付けば、誰一人として「滅びないための対処」をしていないのではないだろうか。都合の良いことだけで世界を組み立てていて、本当に良いのだろうか。

 

「無から有」とは、帽子からウサギを出す手品のことではない。何かがあるとき、その周りには「何もない」のでなく、「何か以外の未知の何か」があると考えることだと僕は思う。「使い道がない」という理由で放置されるなら、「使わない土地建物をどうするのか」という次の議論に進むべきだ。新たな使い道を考えるのは、その議論のほんの一部に過ぎない。僕の主張は、「使えない人に所有させていていいのか?」であり、「買い手がいないなら、もらい手を探すべき」という問題提起だ。だから今回の案件も、早速出会った協力者には、くれぐれも「使い方」を考える以前に、「この土地に興味があり、もらえるなら所有しても良いと思う人」をイメージし、誘って欲しいと依頼した。

 

多くの人にとって「土地の価値」は、そこがお金を生んだり、換金できることかも知れない。だが、「土地所有の価値」は、そこで暮らし、働き、何かを生み出すことのできる人生の価値だ。僕がこだわるのは「土地の放置」ではなく「土地所有の放置」に他ならない。「必要としない人」から「必要とする人」に引き継ぐことこそが、土地問題の「無から有」ではないだろうか。