願い事と困り事

願い事が少しでも近づきたいゴールなら、困り事は少しでも遠ざかりたいスタート地点だ。だから、願い事だけ祈っていても実現しないし、困り事だけ悩んでいても解決しない。願い事と困り事は、どちらか片方でなく、両方が揃って初めて明快な動機として機能する。そして、この両者の関係はそれほど複雑ではなく、シンプルだ。両者が揃って、スタートとゴールが見えた時、なぜこんな簡単なことに気付かなかったのかと思う。だが、その関係にたどり着くためには、一見複雑な願いや悩みをシンプルに単純化する必要がある。余計なぜい肉をそぎ落とし、自分に直接関わることを抽出する必要がある。

 

僕は今、ソーシャル不動産というプロジェクトを進めたいと願っている。だが、当初予定していた助成金が得られず、戦略の変更は避けられない。一見スタートとゴールは明確のようなのだが、なぜか体が動かない。先日「負け惜しみ」と題して総括したはずなのに、まだ頭の中でグチグチ言ってる。今日は、そんな自分を解きほぐす作業をレポートする。

 

まず、シンプルに考えると現状はこうだ。想定していた事業に必要な財源が消えてしまったのだから、新たな財源を探せばいい。さっさと事業企画書をブラッシュアップし、別のスポンサー候補を訪ねればいい。実際、今の状況はこの企画を立案中から想定しており、いくつかスポンサー候補もリストアップしてある。だが僕は、いまひとつその気になれない。その理由は、そもそもこの企画が今回不採用になったこと。他の候補をリストアップしていたのは、採用になる自信があったからこそであり、ひとたび不採用になってみると、他のスポンサーから採用される自信が一機に失われてしまったようだ。僕はこれまで「弱音を吐きたくない」という理由で、この考え方を封印してきたんじゃないだろうか。だとすれば、それこそが虚勢であり、自分の目を濁らせる。採用を前提にした組み立てが、不採用によって変化することの方が、当然の成り行きではないか。

 

助成金の不採用が確定したのは6月中旬のことだった。その日はさすがにがっかりしたが、一方で妙な自信があったことも先ほどの虚勢に通じている。それは千葉県御宿町に移り住み、活動を始めたばかりのT君との出会いだった。今年20歳になるT君は、中学生の頃から社会活動に携わり、自ら団体を率いていた。成人した今、地域を定めて活動を開始したいと考えた末に御宿のまちを選んだのは、そこで多くの出会いがあり、若さに対する地域の期待をひしひしと体で感じているからに相違ない。そのことは、5月の下旬突然の電話をもらい、その晩初めて御宿に駆けつけた時から今日にいたるまで、僕にもビシビシと伝わってくる。僕の願いは、こうした若者が地域でチャレンジできる事業の枠組みを提供することだ。彼らを地域社会の担い手にするには、どうしたらいいのかという課題を解決することだ。

 

それ見たことか。僕の悩みと願いははっきりしてる。問題は、「こんな出会いがしらの思い付きで、僕は動いていいのだろうか」という、なんとも情けない心の迷いだ。だがそれもまた、言い訳に過ぎない。なぜなら、僕にとってこうした「変わり身」は茶飯事だから。公益法人やNPOの申請を途中で取り下げたりと、これまでの前歴は数多い。振り返ってみればいつも思い付きで動いていたのではなく、ずっと心に思っていたことが、何かをきっかけに行動に現れたに過ぎない。何度も繰り返してきたことだから、そう思う。変わり身でなくゴールに向かう気づきのプロセスだと。だとすれば、自分の願いに素直に耳を傾け、困りごとを整理していけるはず。願いや困りごとを列挙し網羅しようとせず、自分の分だけ抽出し、自分の役割を明確にするべきだ。

 

「若者たちの仕事を生み出したい」という願いは、「最後は若者に養ってもらいたい」という僕の願いと裏腹だ。そんなことを言うと、若者たちは引いてしまうかも知れないが、僕は本心でそう思う。その訳は、「若者の世話にはならない」という言葉こそが、社会に余計な負担と分断と孤立を生み出す諸悪の根源に思えるからだ。人間社会の強みは、世代間の協力関係にあると僕は思う。子供たちは役立つ大人になるために学び・成長し、大人は社会を支えるために働き・稼ぎ、年寄りは子供と大人をサポートするという役割分担が、人間社会が持続する根幹だ。これが実現できない家族は途絶え、地域は消滅し、国家は衰退する。日本は豊かな財力でこの仕組みに頼らない社会を目指してしまったが、その挙句に借金(国債・補助金)まみれで破たん寸前だ。たとえ国家の財政が破たんしようと、平然と生きていく僕たちが目指すのは、若者が活躍し、若者の世話になる社会に違いない。

 

今日も、愚痴っぽい話にお付き合いいただき恐縮です。でも「自分の願い」にまとわりつくいくつかの邪念を吹き飛ばすことができました。引き続きソーシャル不動産を中心に、様々なチャレンジを続けますが、60も過ぎたことだし、もうぶれない「願い」を携えて様々な課題解決に取り組みたいと思います。

ちなみに「若者」とは、「未来を考える人」のこと。自称「若者」からのご意見やご感想をお待ちしています。