14歳の若者が将棋界の歴史を書き換えようとしている・・・そんな話題で持ちきりの将棋界だが、僕は昨夜のNHKスペシャル「人工知能 天使か悪魔か 2017」を見て、人間対AIの将棋対決にすっかり魅了されてしまった。今年春、将棋界の最高位・佐藤天彦名人と最強の人工知能「POTENZA」が激突する電王戦2番勝負が行われたのだが、人工知能の前に、まさにもがき苦しみのたうち回る佐藤名人の姿に「神にもてあそばれる人間」を見てしまった。このAIが700万回の棋譜を学び記憶しているということは、1日10回の対戦で年3650回分の経験をする人間に例えれば、2000年分の経験を学んだことになる。これはどんなに優秀な人間だろうと到底対抗できる数字ではない。しかもAIの方はまだほんの序の口で、今後さらに自己対戦しながら学習し成長していくという。

 

人間の知性を越える人工知能は、すでに現実社会への進出を果たしている。名古屋のタクシー会社では、携帯通話のGPS位置情報と顧客の乗降履歴情報を解析して客がいる場所を指示する人工知能を導入し、乗車客数を大きく伸ばしているし、株式の取引は今やその大部分をAIが担い、人間はそれを眺めているだけだ。人工知能が、人間を評価するという事態も起きており、シンガポールのバス会社では、事故を起こす危険性の高い運転手を人工知能が見つけ出し、アメリカでは、過去の膨大な裁判記録を学んだ人工知能が、被告の再犯リスクを予測し、刑期の決定などに関わっているという。日本のある企業でも、退職の予兆がある人を、人工知能が事前に察知し、重点的にケアすることで退職率を下げているという。AIが人間の仕事を奪うというが、だとすれば、それはかなり知的な業域で、経験や勘によるところが多い目利きや職人の分野だといえよう。

 

この番組の見どころは、羽生善治氏が取材に同行し様々な解説を加えてくれるところだ。彼自身、今回の対局を見て、AIに対する見方が一変したという。これまで囲碁やチェスなど様々なゲームにおいて人間はAIに敗北を続け、将棋が最後に残されたのは「取られた駒が生き返る」という特殊性だと言われてきたが、AIの進化はすでにそれを乗り越えている。それでも「棋譜の美しさや意外性は人間が優れている」というこれまでの自論を、今回羽生氏は「すべての点においてAIが上回ると言わざるを得ない」と言う。まず、いきなり「金」を動かす初手で度肝を抜かれたという。映像でも、対局する佐藤名人が、身もだえしながら悩んでいる。そして勝負を決めた終盤の一手は、一見相手に有利な上「歩」を献上するような「凡手」に見えるのだが、ペースを乱された佐藤名人が瓦解し投了に至る様はちょっとした地獄絵だ。

 

だが一方で、こうしたAIの差し手を見て「学ぶべきところが多い」と語る羽生氏にも驚かされる。完膚なきまでに叩きのめされた佐藤名人もまた、「またやってみたい」と言っている。海外では「AIに仕事を奪われる」という議論が深刻化しているのに、日本ではそうした機運が高まらないのは、興味深い。先ほども述べたように、何事も人間離れした領域にまで極めていくと、その人は神格化されていくことがしばしば起きる。ストイックなイチローの姿を神格化するアメリカのファンたちがその一例だ。だからこそ、その神が堕落すると、人々の失望も大きい。しかし、日本では「神」の概念が少し違うように思える。「神=自然」であり、「神が正しいのは、それが当然の結果だから」という感覚だ。だから、神がすごいのは当たり前で、それで人間が失望する必要はない。人工知能がどんなに優秀でも、それに感嘆するのは初めの一瞬だけであり、いつも心に響くのは、それに立ち向かう人間の姿だと僕は感じる。

 

いよいよスタートした都議選では「安倍一強」という言葉がよく聞かれるが、実は「安倍」が強いのではなく、もっと強い何か「神」を、安倍氏は上手に操っているように思える。戦争、福祉、女性、経済・・・これほど多岐にわたる論点で一人を選ぶこと自体、民主主義などすでに幻想にも思える。「小池指示」「反小池」「是々非々」の3択・・・つまり「是々非々」が選択肢であること自体まるでおかしい。こんなことこそ、まさにAIの意見を聞いてみたい。政治の神様、行政の神様が登場してもいいはずだと、僕は思う。神の力が、祈祷師のようなリーダーに利用されるのは恐ろしいことだ。確かにAIは人間の仕事を奪っていくかもしれないが、もしもそれらが当然の答えに導かれてのことならば、構わないと僕は思う。

 

だが、羽生氏はAIの問題点も指摘する。それは、AIが答えを出すだけの「ブラックボックス」であること。将棋の勝敗や、タクシーの乗客など結果が明確ならばAIの評価も簡単だが、評価の難しい複雑な課題や、失敗時の影響を考えた時に、誰も説明できず責任も取れない。AI将棋の開発者も「なぜ強いのか説明できない」と言っており、これも「神」と言われる所以である。まさに「天使か悪魔か」の名の通り、恵みであると同時に災害ももたらす「自然」もまた同じような顔を持つ。人間はまた一つ、怪物を生み出してしまったのかもしれない。でも、これこそが人間が他の動物と違う点だと思う。この怪物と付き合うことにより、人間はまた次の進化を遂げるのかもしれない。